アッピア水道
アッピア水道(ラテン語: Aqua Appia)は、最古のローマ水道である。古代ローマのケンソル(監察官)で、有名なアッピア街道の建設者としても知られる、アッピウス・クラウディウス・カエクスにより、紀元前312年に建設された。
アッピア水道 | |
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ラテン語: Aqua Appia イタリア語: Acquedotto Appio | |
概要 | |
自治体 | ローマ |
国 | イタリア |
座標 | 北緯41度53分22秒 東経12度30分40秒 / 北緯41.88944度 東経12.51111度座標: 北緯41度53分22秒 東経12度30分40秒 / 北緯41.88944度 東経12.51111度 |
完成 | BC312 |
寸法 | |
幅 | 全長 16km (11.190 ローマ・マイル) |
他の寸法 | 水量 73,000m3/日(1,825クイナリア) |
技術的詳細 | |
構造方式 | 石造・コンクリート造建築 |
設計・建設 | |
主要建設者 | 共和政ローマ |
概要
編集ローマ水道の技術書の著者でありローマ水道長官でもあったフロンティヌスによれば、水道の全長は16.6km(11.190 ローマ・マイル)で、そのうち16.5km(11.130 ローマ・マイル)は地下の導水渠で残りが地上の構造物内を通っていた。水源はプラエネスティーナ街道の7マイルストーンと8マイルストーンの間の交差点から左へ0.78ローマ・マイルのルクラン(Lucullan)という場所であった[1]。プラエネスティーナ門(現 マッジョーレ門)付近でローマ市街に入ってからは水道橋となり、チェリオの丘とアヴェンティーノの丘を経由してテヴェレ川近くにあったフォルム・ボアリウム付近に達していた。水量は73,000m3/日(1,825クイナリア)であった[2]。