グルホフ公国
グルホフ公国(ロシア語: Глуховское княжество)は、13世紀から15世紀にかけて存在した、ルーシの諸公国の一つである。首都はグルホフ(現フルーヒウ)におかれ、成立当初はチェルニゴフ公国の分領公国であった。
歴史
編集グルホフ公として最初に言及されるのは、チェルニゴフ公ミハイルの子のセミョーンである。ミハイルがジョチ・ウルスに殺害された後、チェルニゴフ公ミハイルの3人の子が公国領を分割相続したことで、グルホフ公国が形成された[1]。
1369年、グルホフ公国は首都をノヴォシリに移し[2]、グルホフ公位は消滅した。14 - 15世紀にかけて、グルホフ公国から、ノヴォシリ公国(さらにベリョーフ公国(ru)、オドエフ公国、ヴォロトィンスク公国)、ウスチエ公国が分裂したことになる[2]。なおグルホフは1407年にリトアニア大公国に占領されてもいる[2]。
16世紀には、これらの旧グルホフ公国領は全てモスクワ大公国に吸収された。 また、これら諸公国の公の子孫は、モスクワ大公国など後続のロシア国家の中で、ベリョーフスキー家(ru)、オドエフスキー家(ru)、ボロトィンスキー家(ru)ら貴族の家系として存続した。
出典
編集- ^ Родъ князя Михайла Черниговского // Родословная книга князей и дворян российских и выезжих (Бархатная книга). Часть I. — М.: Университетская типография Н. Новикова, 1787. — С. 179—180.
- ^ a b c Глуховское княжество // Все монархии мира
参考文献
編集- Пресняков А. Е. Княжое право в Древней Руси. Лекции по русской истории — М.:Наука, 1993.