ジャンティイ
ジャンティイ (Gentilly)はフランス、イル=ド=フランス地域圏のヴァル=ド=マルヌ県のコミューン。アルクイユとル・クレムラン=ビセートルの両小郡に属している。
Gentilly | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | イル・ド・フランス |
県 (département) | ヴァル=ド=マルヌ県 |
郡 (arrondissement) | ライ=レ=ローズ郡 |
小郡 (canton) |
アルクイユ小郡 ル・クレムラン=ビセートル小郡 |
INSEEコード | 94037 |
郵便番号 | 94250 |
市長(任期) |
Patricia Tordjman (2008年-2014年) |
自治体間連合 (fr) | メトロポール・デュ・グラン・パリ |
人口動態 | |
人口 |
17034人 (2006) |
人口密度 | 人/km2 |
住民の呼称 | Gentilléennes, Gentilléens |
地理 | |
座標 | 北緯48度48分48秒 東経2度20分40秒 / 北緯48.8133333333度 東経2.34444444444度座標: 北緯48度48分48秒 東経2度20分40秒 / 北緯48.8133333333度 東経2.34444444444度 |
標高 |
最低:42 最高:81 |
面積 | km2 |
公式サイト | ville-gentilly.fr |
地理
編集位置
編集パリに隣接し、プティト・クロンヌ(小さな王冠の意。パリを取り囲むオー=ド=セーヌ県、セーヌ=サン=ドニ県及びヴァル=ド=マルヌ県のこと。)内にある。
隣接自治体
編集- 東 ル・クレムラン=ビセートル
- 西 モンルージュ
- 南 アルクイユ
- 北 13区 (パリ)及び14区 (パリ)
地形
編集暗渠化されたビエーヴル川がコミューン内を横切る。
歴史
編集Gentiliacumという村の名が伝えられたのは7世紀、聖ウアンの手による聖エロワの生涯伝の中においてである[1]。王領として存在が知られたのは6世紀であり、13世紀終わりにはジャンティイの名が表れた。中世の間、いくつもの修道院や荘園として分割・領有され、領主が交替した。
17世紀、パリ左岸地区へ水を供給するためメディシス水道が築かれた。現在もフレンヌ、ライ=レ=ローズ、カシャン、アルクイユ、ジャンティイに残っている。
19世紀、ビエーヴル川沿いに強力に産業革命が推し進められた。洗濯や皮なめしの工場が急速にできた。工業化と都市化が急激に進み、粗悪な住宅が建設され、ビエーヴル川は極端に汚染された。第二次世界大戦まで、労働階級人口の3/4が標準以下の住宅に住むという悲惨な状態であった。 1860年、ティエールの城壁内のメゾン・ブランシュ地区及びグラシエール地区がパリに併合される。 1897年、ル・クレムラン=ビセートルがジャンティイから分離独立して新たなコミューンとなる。
1925年、ティエールの城壁外縁部のラ・ゾーヌと呼ばれる地帯がパリに併合され、国際大学都市用地とされた。 1950年代より、現代的な住宅が出現し、都市人口の過密化を招いた。
建物
編集- サン=サテュルナン教会 - 13世紀。16世紀再建。
- サクレ=クール寺院 (ジャンティイ)(仏語版)
- ジャンティイ墓地 (仏語版) - 13区およびパリ南東部を見下ろす位置にある。
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サン=サテュルナン教会
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ジャンティイのサクレ=クール寺院(国際大学都市)
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ジャンティイ墓地
奥にはパリ13区市街が見える -
ジャンティイ市庁舎
交通
編集出身者
編集- ロベール・ドアノー(写真家)
- ソフィー・マルソー(女優)
- ジュディット・シュムラ(女優)
- エルネスト・ローラン(画家)
脚注
編集- ^ Dictionnaire historique des environs de Paris du docteur Ermete Pierotti