スレイヤー
スレイヤー(SLAYER)は、アメリカ合衆国のスラッシュメタル・バンド。
スレイヤー | |
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オリジナル・ラインナップ(2007年) | |
基本情報 | |
出身地 |
アメリカ合衆国 カリフォルニア州ハンティントンパーク |
ジャンル |
スラッシュメタル[1] エクストリームメタル ヘヴィメタル[1] スピードメタル クロスオーバー・スラッシュ |
活動期間 |
1981年 - 2019年 2024年 - |
レーベル |
メタル・ブレイド・レコーズ アメリカン・レコーディングズ ニュークリア・ブラスト |
公式サイト | slayer.net |
メンバー |
トム・アラヤ (Vo/B) ケリー・キング (G) ポール・ボスタフ (Ds) ゲイリー・ホルト (G) |
旧メンバー |
ジェフ・ハンネマン (G) デイヴ・ロンバード (Ds) ジョン・デッティ (Ds) |
同時期にデビューした「メタリカ」「アンスラックス」「メガデス」と並び、スラッシュメタル"BIG4"と形容された一角として君臨し、デビュー以来ほとんど変化する事なくアグレッシヴな音楽性を貫き通した。そのスタイルはエクストリームメタルの原点ともなっている[2]。
概要
編集歌詞やアルバムのジャケットに用いられる、死、自殺、精神異常、死体、サタニズム、連続殺人犯、戦争などといったテーマがしばしば議論を呼び、アルバムの発売禁止及び延期、訴訟に発展し1980年代には音楽検閲推進団体『PMRC』の標的にもなった。また、後のデスメタルやブラックメタルにも影響を与えた。1986年にリリースされたアルバム『Reign in Blood - レイン・イン・ブラッド -』などは英国ケラング!誌に"the heaviest album of all time by Kerrang!"と評された[3]。
1983年のデビュー時から2枚のライヴ・アルバム、1つのボックスセット、4つの映像作品、2枚のEP、11枚のアルバムをリリースし、4枚のゴールドディスクを獲得している。グラミー賞には5回ノミネートされ(2017年現在)、その内2007年には『Eyes of the Insane』が、2008年には『Final Six』が最優秀メタル・パフォーマンスに選ばれた。全米でのアルバム総売上は350万枚を超え、『オズフェスト』や『UNHOLY ALLIANCE TOUR』などのロックフェスティバルではヘッドライナーを務めるほどの人気を有している。
来歴
編集結成期
編集1981年にケリー・キングとデイヴ・ロンバードが意気投合し、Kerryが以前に「Quits」というバンド(その前は「Tradewings」という名前だった)で一緒にプレイしていたチリ出身のトム・アラヤと、ジェフ・ハンネマンを勧誘したことで結成に至る。最初は北カリフォルニアのクラブやパーティでアイアン・メイデンやジューダス・プリーストなどのカヴァーを演奏していた。当初のバンド名は「ドラゴンスレイヤー(Dragonslayer)」。その由来が1981年公開の同名映画のタイトルという噂があったが、Kerryはこれを否定している。ロサンゼルスにある「Woodstock Club」にてヘヴィメタルバンド「Bitch」の前座としてライブで演奏(全8曲、その内6曲はカヴァー)した際、アイアン・メイデンの「Phantom of the Opera」をプレイする姿を見たアメリカの名門メタルレーベル「メタル・ブレイド・レコーズ」の創設者「ブライアン・スレイゲル(Brian Slagel)」に見出される。その後バックステージで両者は出会い、BrianはSlayerに作曲を要請しバンドはそれを承諾した。
1983年、メタル・ブレイド・レコーズによるコンピレーションアルバムの第三弾『メタル・マサカー3 - METAL MASSACRE 3 - 』(詳細は→メタル・ブレイド・レコーズ)に「Aggressive Perfector - アグレッシブ・パーフェクター」を提供し同レーベルと契約した。同年12月にデビュー作となる1stアルバム『ショウ・ノー・マーシー - SHOW NO MERCY - 』を発表。バンドには資金がなかったため、自分達で製作費用を捻出した(Tomは自身の稼ぎを充て、Kerryは父から金を借りた)。これによりメンバーはこの年の11月にスタジオ入りを果たす。
1984年には、アルバムのプロモーションを兼ねてライブツアーを行った。ツアーと言っても国内のクラブを回るもので、Tomの所有するカマロでU-ホールから借りたトレーラーを引きながらの移動であった。このライブを足掛かりにバンドは知名度を上げ、アルバムはアメリカだけで2万枚、国外でも2万枚以上の売り上げを記録する。同年10月、3曲入りEP『ホーンティング・ザ・チャペル - HAUNTING THE CHAPEL - 』を発表。アルバムの幕開けとなる「ケミカル・ウォーフェアー - Chemical Warfare - 」はバンドの定番曲となった。アルバムリリース後、Slayerはバンド「UFO」の前座として、ライブ「Heavy Sounds Festival」においてヨーロッパデビューを果たす。アメリカに戻ってからは、ツアー「Haunting the West」を開始。ツアー後に、Kerryは「デイヴ・ムステイン(Dave Mustaine)」の新たなバンド「メガデス(MEGADETH)」へ加入するため一時バンドを離れている。Jeffはこれに関して「新しいギタリストを探そうか考えていた」と語っている。その後バンドはヴェノムやエクソダスと共に「Combat Tour」を開始、ライブアルバム『Live Undead』をリリース。
1985年、初のライブ映像となる『Combat Tour: The Ultimate Revenge』をリリース。ヴェノムらと共にニューヨークの「Studio 54」にて出演したライブが取り上げられた。またこの年にはアルバム『SHOW NO MERCY』の売り上げが4万枚を突破、バンドは2枚目のスタジオアルバム製作が可能となった。メタル・ブレイドは製作費用をバンドに与え、収録に際しプロデューサーの「Ron fair」を迎えることができた。同年9月、2ndアルバム『ヘル・アウェイツ - HELL AWAITS - 』を発表。『Hell Awaits』の成功後、バンドはリック・ルービン率いるメジャー・レーベルデフ・ジャムからオファーを受け移籍する。
1986年、3rdアルバム『レイン・イン・ブラッド - REIGN IN BLOOD - 』を発表するが、「歌詞が過激過ぎる」という理由から(ナチスの虐殺者ヨーゼフ・メンゲレについて歌った『エンジェル・オブ・デス』が特に問題視された)、コロムビア・レコードがアメリカ国内の配給を拒否[4]。その後、当時ワーナーグループ傘下だったゲフィン・レコードからの配給が決定。無事発売(しかし議論の結果このレコード会社のリリース表にはこのアルバムの名は記載されていない)され、ラジオでのエアプレイがなかったにもかかわらずビルボード誌のアルバム・チャートで最高50位台を記録する。なお、イギリスでは、WEAが発売を拒否したため、ロンドンレコードから発売された。同年10月、Slayerはワールドツアー「Reign in Pain」をオーヴァーキルやMaliceと共に開始。また、バンド「W.A.S.P.」のツアーにおけるオープニングアクトも決定するが、その後1ヵ月を待たずドラマーのDaveが「家庭生活を優先したい」とし脱退。ツアー継続のため、元「ウィップラッシュ」の「Tony Scaglione」が参加するが、翌年には妻の説得によりDaveが復帰。
1987年、コロムビア・レコードの創設者「Rick Rubin(リック・ルービン)」の独断により、バンド「アイアン・バタフライ」の代表曲『In-A-Gadda-Da-Vida』をカヴァーし、映画「Less Than Zero」のサウンドトラックへ提供。バンド側はこれを快く思っておらず、Jeffは「可哀相なSlayerの演出」と捉え、Kerryは「糞の塊」と語った。ちなみに、この楽曲はSlayerがラジオで流れた最初の曲の1つである。
1988年、4thアルバム『サウス・オブ・ヘヴン - SOUTH OF HEAVEN - 』を発表。構想段階で、前作『Reign in Blood』から一転し、曲のテンポを落とし、メロディアスな歌唱を取り入れると決定。Jeffはこれに関して「『Reign in Blood』を越えることができないのは分かっていた。だから曲のスピードを落としたんだ。リリースしたアルバムが皆『Reign〜』と比べられることが分かっていたからね。奇妙なことだった。この前にも後にも、こんなことは無いよ」と語っている。スタイルの変化はファンや評論家から様々な反響があったが、アルバムは当時最も商業的に成功する。ビルボードチャートで初登場57位(200位中)を記録し、2枚目のゴールドディスク授賞作品となった。アルバムに対する評価も様々で、「Allmusic」は「混沌としており力強い」とした一方、Kerryは「最も活気の無いアルバムだ」と評している。同年8月12日、ロサンゼルスのハリウッド・パラディウム公演、8月31日・ニューヨークのフェルト・フォーラム公演において、プロモーターのチケット販売過多が要因となり観客の暴動が発生。同会場での演奏が禁止される。
1990年に5thアルバム『シーズンズ・イン・ジ・アビス - SEASONS IN THE ABYSS - 』を発表。『クラッシュ・オブ・ザ・タイタンズ』ツアー(第一弾はスレイヤー、メガデス、テスタメント、スイサイダル・テンデンシーズの4組による1990年のヨーロッパツアー、第二弾はスレイヤー、メガデス、アンスラックス、アリス・イン・チェインズの4組による1991年全米ツアー)を実施。ビルボード誌の総合チャートで40位内にランクイン。
1991年、活動10周年を記念したライヴ・アルバム『ディケイド・オブ・アグレッション - DECADE OF AGGRESSION - 』を発表。
第二期
編集1992年にデイヴ・ロンバードが脱退。新ドラマーとして元フォビドゥンのポール・ボスタフが加入。1994年、『ディヴァイン・インターヴェンション - DIVINE INTERVENTION - 』を発表。1995年、ビデオ『ライブ・イントゥルージョン - LIVE INTRUSION - 』発表。1996年、パンク/ハードコアカバーアルバム『アンディスピューテッド・アティテュード - UNDISPUTED ATTITUDE - 』を発表。
第三期
編集1996年、ポールが脱退し、新ドラマーとして元テスタメントのジョン・デッティが加入するも、翌年の1997年、短期間のうちにポールが復帰。
第四期
編集1998年、7thアルバム『悪魔の鎮魂歌(レクイエム) - DIABOLUS IN MUSICA - 』を発表。
第五期
編集2001年、オリジナル・ドラマーのデイヴが復帰。8thアルバム『ゴッド・ヘイツ・アス・オール - GOD HATES US ALL - 』を発表。8月には日本のヘヴィロック・フェスティバル「BEAST FEAST 2001」にパンテラとのダブル・ヘッドライナーとして出演。 2002年、12月に再びヘッドライナーとして「BEAST FEAST 2002」に出演。2003年、DVD『ウォー・アット・ザ・ウォーフィールド - WAR AT THE WARFIELD - 』 、BOX-SET『サウンドトラック・トゥ・ジ・アポカリプス - SOUNDTRACK TO THE APOCALYPSE - 』発表。 2004年、DVD『スティル・レイニング - STILL REIGNING - 』発表。 2006年8月、約5年ぶりの9thアルバム、『クライスト・イリュージョン - CHRIST ILLUSION - 』をリリース。ビルボード初登場5位を記録した。10月には日本のヘヴィメタル・フェスティバル「LOUD PARK 06」への出演、単独公演を行った。
2007年、『クライスト・イリュージョン - CHRIST ILLUSION - 』のリイシュー盤、DVD『アンホーリー・アライアンス・ツアー:邪悪伝道同盟 - THE UNHOLY ALLIANCE - 』を発表。『CHRIST ILLUSION』に収録された楽曲『Eyes Of The Insane』が、第49回グラミー賞の最優秀メタル・パフォーマンス部門で受賞した[5]。
2008年、『CHRIST ILLUSION』のリイシュー盤に収録された楽曲『Final Six』が、第50回グラミー賞の最優秀メタル・パフォーマンス部門で受賞した[6]。
2009年、10thアルバム『血塗ラレタ世界 -WORLD PAINTED BLOOD- 』をリリース。10月には日本のヘヴィメタル・フェスティバル「LOUD PARK 09」への出演と単独公演を行った。
2011年、ジェフが右腕を毒蜘蛛に噛まれ、壊死性筋膜炎を発症したため、バンドを離脱。ツアーにはエクソダスで活動するゲイリー・ホルトがサポートで参加することとなった。 2012年、10月にフェスティバル「LOUD PARK 12」のヘッドライナーとして来日[7]。
第六期
編集2013年2月、デイヴがツアー不参加を表明[8]。5月2日、復帰が待ち望まれていたジェフが肝不全により死去[9]。ゲイリーが正式メンバーとなる。5月30日、2月に脱退したデイヴの後任としてポールが復帰[10]。
2015年9月11日、6年ぶりとなる11thアルバム『リペントレス -Repentless- 』をリリース。10月には、「LOUD PARK 15」のヘッドライナーとして来日[11]。
2017年、10月にフェスティバル「LOUD PARK 17」のヘッドライナーとして来日[12]。
バンドの終焉
編集2018年、今年から来年にかけて開催するツアーが最後になると宣言し「ファイナル・ワールド・ツアー」を開始[13]。年末、ゲイリー・ホルトが家庭の事情により一時離脱。代役はフィル・デンメル(元マシーン・ヘッド、元ヴァイオレンス)が務めた[14]。
2019年3月、ロック・フェスティバル「DOWNLOAD JAPAN 2019」出演のため来日[15]。同11月末、当初の予定通り、地元カリフォルニア州の最終公演をもって解散。38年の歴史に幕を閉じた[16]。
第七期(再結成)
編集2024年2月22日、約5年振りに再結成、復活しヘッドライナーとしてライヴを行なうことを正式に発表[17]。2024年9月22日に「ライオット・フェスト」で2019年の解散後初となるライヴを行い、その5日後に「ラウダー・ザン・ライフ」で2度目のライヴを行う[17]。
メンバー
編集- トム・アラヤ(Tom Araya、1961年6月6日 - ) - ベース/ボーカル (1981-2019, 2024)
- ケリー・キング (Kerry King、1964年6月3日 - ) - ギター (1981-2019, 2024)
- ゲイリー・ホルト(Gary Holt、1964年5月4日 - ) - ギター (2011-2019, 2024) - エクソダス兼任
- ポール・ボスタフ(Paul Bostaph、1964年3月4日 - ) - ドラムス (1992-1996, 1997-2001, 2013-2019, 2024) - 元フォビドゥン
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トム・アラヤ(Vo/B) 2014年
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ケリー・キング(G) 2019年
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ゲイリー・ホルト(G) 2019年
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ポール・ボスタフ(Ds) 2013年
旧メンバー
編集作品
編集オリジナル・アルバム
編集- ショウ・ノー・マーシー - Show No Mercy (1983年)
- ヘル・アウェイツ - Hell Awaits (1985年)
- レイン・イン・ブラッド - Reign in Blood (1986年)
- サウス・オブ・ヘヴン - South of Heaven (1988年)
- シーズンズ・イン・ジ・アビス - Seasons in the Abyss (1990年)
- ディヴァイン・インターヴェンション - Divine Intervention (1994年)
- 悪魔の鎮魂歌(レクイエム) - Diabolus in Musica (1998年)
- ゴッド・ヘイツ・アス・オール - God Hates Us All (2001年)
- クライスト・イリュージョン - Christ Illusion (2006年)
- 血塗ラレタ世界 - World Painted Blood(2009年)
- リペントレス - Repentless(2015年)
日本公演
編集脚注
編集- ^ a b “Slayer|Biography”. オールミュージック. All Media Guide. 2015年6月19日閲覧。
- ^ “スレイヤーの20曲:最も邪悪なスラッシュ・メタル四天王”. U discovermusic.jp (2018年5月7日). 2019年1月23日閲覧。
- ^ Kerrang! Awards
- ^ 『レイン・イン・ブラッド(日本盤)』におけるライナーノーツ(1995年1月24日 有島博志 記)より。
- ^ “Winners / Best Metal Performance / 49th Annual Grammy Awards (2006)”. GRAMMY.com. 2019年4月13日閲覧。
- ^ “Winners / Best Metal Performance / 50th Annual Grammy Awards (2007)”. GRAMMY.com. 2019年4月13日閲覧。
- ^ “LOUD PARK 12 @ さいたまスーパーアリーナ”. rockin'on.com (2012年10月27日). 2019年4月13日閲覧。
- ^ “スレイヤーのデイヴ・ロンバード、オーストラリア・ツアーの不参加を発表”. amass. (21 February 2013) 13 September 2015閲覧。
- ^ “Slayer's statement about Hanneman's death”. フェイスブック|slayer. 2013年5月4日閲覧。
- ^ “SLAYER Welcomes Drummer PAUL BOSTAPH Back To The Fold - May 30, 2013”. Blabbermouth.net. Roadrunner Records. 30 May 2013閲覧。
- ^ “LOUD PARK 15"で来日するSLAYER、6年ぶりとなるニュー・アルバム『Repentless』の国内盤が9/11にリリース決定!詳細も明らかに!”. 激ロック (2015年6月26日). 2019年4月13日閲覧。
- ^ “LOUD PARK 17の初日をレポート!”. WeROCK EYES (2017年10月18日). 2019年4月13日閲覧。
- ^ “最後のワールドツアーが幕を開けたスレイヤー 野性を呼び起こすサウンドの秘密”. BARKS (2018年12月3日). 2019年1月23日閲覧。
- ^ “スレイヤー、ゲイリー・ホルトが瀕死の父に付き添うためヨーロッパ・ツアーから離脱”. Rolling Stone Japan (2018年5月15日). 2019年1月23日閲覧。
- ^ “鋼鉄神の帰還、スラッシュメタルの帝王ファイナル……二万人が熱狂した『DOWNLOAD JAPAN 2019』完全レポート”. BURRN! ONLINE (2019年4月4日). 2019年4月12日閲覧。
- ^ “スレイヤー、フェアウェル・ツアーの最後の公演でファンに別れを告げる映像がオンラインに”. NME JAPAN (2019年12月3日). 2020年1月2日閲覧。
- ^ a b “SLAYERが再結成を発表! 9月に2つのフェスのヘッドライナーとして登場!”. シンコーミュージック・エンタテイメント (2024年2月22日). 2024年2月22日閲覧。