ツキノイチバン[1]とは、日本の競走馬。主な勝ち鞍に1994年金盃およびアフター5スター賞

ツキノイチバン
欧字表記 Tsukino Ichiban[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 黒鹿毛[1]
生誕 1989年3月8日[1]
死没 1994年10月27日(5歳没)[2]
ミルジョージ[1]
エンゼルスキー[1]
母の父 マルゼンスキー[1]
生国 日本の旗 日本北海道門別町)[1]
生産者 中館牧場[1]
馬主 月村泰男[1]
調教師 福永二三雄(大井)[1]
競走成績
生涯成績 12戦11勝[1]
獲得賞金 9830万円[1]
勝ち鞍 金盃(1994年)
アフター5スター賞(1994年)
[1]
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追い出すことすらままならない脚部不安と戦いながら重賞2勝を含む無敗の11連勝を挙げ、1995年から開始される交流競走での活躍が待たれた矢先の競走中の事故により死亡した。

デビュー前

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1989年3月8日門別町の中館牧場で生を受ける[1]。父がロジータイナリワンを始め地方競馬で多くの活躍馬を輩出したミルジョージであり、調教師としてイナリワンなどを管理した福永二三雄は誕生の翌日に早々と入厩を決定[2]。やがて育成牧場に送られるが、育成中に左前脚関節から骨液が抜けてしまう故障に見舞われ、競走馬としてのデビューすら危ぶまれる事態となったが、治療に全力を挙げるため3歳時は全休、南関東クラシック路線も捨てざるを得なかった[2]

戦績

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能力試験を経て1992年7月、大井競馬場での条件戦で、前の月にデビューしたばかりで能力試験の段階から乗っていた小安和也[3]騎乗によりデビューし、2着に9馬身差をつけて勝利[2]。この年は4戦して4戦とも快勝したが、11月の4走目ののちは脚元を休ませるため休養に入った[2][3]。5歳となった1993年夏に復帰して2戦2勝、5歳3戦目のロマンチックナイト賞では2着に11馬身差をつける大差勝ちを演じた[3]。年末のクリスマス賞では将来を見据えた競馬を進め、競走を中止してカラ馬のナイキサンライズに絡まれる厳しい展開になり小安曰く「唯一、不安になったレース」[3]を克服して勝利した[4]

1994年、初戦のベイサイドカップより鞍上が小安から佐々木竹見へと変わったが、これは翌1995年から開始される交流競走を見据えてのものであった[3]。ベイサイドカップで9連勝を達成ののち重賞戦線に姿を現す。金盃では、直前調教で初めて一杯の追い切りを行ったが、6ハロンを75秒で駆けるという時計を叩き出した[5]。レースでは羽田盃東京王冠賞勝ちの二冠馬ブルーファミリー東京ダービー馬プレザントらを差し置いて1番人気に支持され、ブルーファミリーを下して重賞初制覇と同時にデビューから10連勝を達成[5]。この後半年の休養を経て8月に復帰し、新設第1回のアフター5スター賞を勝って11連勝、南関東でのデビューからの無敗記録に並んだ[5]。周囲で先々への期待が過熱する中で2か月の休養を入れ、10月27日のグランドチャンピオン2000へ出走し1番人気に迎えられる[5]。レースでは中団から順調に競馬を進め、3コーナーではすでに3番手に付けていたが、4コーナー出口で左前脚に故障を発生[5]。そのまま外に出して競走を中止すると、予後不良の診断がくだされ安楽死の処分となった[5]

競走成績

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以下の内容は、JBISサーチ[6]およびnetkeiba.com[7]に基づく。

年月日 競馬場 競走名 距離(馬場) 頭数 枠番 馬番 人気 着順 タイム 着差 騎手 斤量
(kg)
勝ち馬/(2着馬)
1992.07.05 大井 サラ系4歳 ダ1400m(良) 12 8 12 (1人) 1着 1:28.2 -1.8 小安和也 54 (アームキング)
0000.09.15 大井 サラ系4歳 ダ1600m(良) 10 2 2 (1人) 1着 1:46.3 -0.9 小安和也 54 (クニノシズカ)
0000.10.15 大井 サラ系4歳 ダ1500m(重) 12 5 6 (1人) 1着 1:38.1 -1.8 小安和也 54 (ツネノピアン)
0000.11.08 大井 サラ系一般C1十 ダ1400m(良) 9 4 4 (1人) 1着 1:29.7 -0.6 小安和也 55 (トウケイウェーブ)
1993.07.15 大井 サラ系一般C1五・六 ダ1400m(良) 10 7 8 (1人) 1着 1:28.1 -2.2 小安和也 55 (ウィンザメイモン)
0000.07.29 大井 みずがめ座特別 C1二 ダ1700m(良) 14 8 14 (1人) 1着 1:48.7 -0.3 小安和也 55 (スイジンカイザー)
0000.08.30 大井 ロマンチックナイト賞 B3二 ダ1700m(良) 10 5 5 (1人) 1着 1:46.9 -2.3 小安和也 55 (レインボーブラザー)
0000.12.25 大井 クリスマス賞 B2二 ダ1800m(良) 14 4 6 (1人) 1着 1:56.2 -0.3 小安和也 55 (リーフラン)
1994.01.18 大井 ベイサイドC B1 ダ1800m(稍) 13 3 3 (1人) 1着 1:52.9 -1.2 佐々木竹見 54 (キタサンカムイ)
0000.02.28 大井 金盃 ダ2000m(良) 15 3 4 (1人) 1着 2:04.9 -0.1 佐々木竹見 51 ブルーファミリー
0000.08.30 大井 アフター5スター賞 ダ1800m(良) 10 5 5 (1人) 1着 1:52.8 -0.7 佐々木竹見 55 (グローリータイガー)
0000.10.27 大井 グランドチャンピオン2000 ダ2000m(良) 13 8 13 (1人) 競走中止 佐々木竹見 57 サクラハイスピード

血統表

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ツキノイチバン血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ミルリーフ系
[§ 2]

ミルジョージ
Mill George
1975 鹿毛
父の父
Mill Reef
1968 鹿毛
Never Bend 1960 Nasrullah 1940
Lalun 1952
Milan Mill 1962 Princequillo 1940
Virginia Water 1953
父の母
Miss Charisma
1967 鹿毛
Ragusa 1960 Ribot 1952
Fantan 1952
マタテイナ
Matatina 1960
Grey Sovereign 1948
Zanzara 1951

エンゼルスキー
1983 鹿毛
マルゼンスキー
1974  鹿毛
Nijinsky 1967 Northern Dancer 1961
Flaming Page 1959
シル
Shill 1970
Buckpasser 1963
Quill 1956
母の母
ミスカイリユウ
1968 鹿毛
マロツト
Marot 1959
Ribot 1952
Macchietta 1946
リユウノボル 1961 ソロナウエー Solonaway 1946
ミスツルミ 1956
母系(F-No.) フリヂデイテイー系(FN:9-d) [§ 3]
5代内の近親交配 Ribot 4×4=12.50% [§ 4]
出典
  1. ^ [8]
  2. ^ [9]
  3. ^ [8]
  4. ^ [8][9]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q ツキノイチバン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e 副田拓人「あるすい星の死 ツキノイチバン 運命編」”. TCKコラム. 特別区競馬組合. 2020年3月10日閲覧。
  3. ^ a b c d e 副田拓人「あるすい星の死 ツキノイチバン 栄光編」”. TCKコラム. 特別区競馬組合. 2020年3月10日閲覧。
  4. ^ 10R クリスマス賞 B2二 1993年12月25日(土)17回大井2日”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月10日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 副田拓人「あるすい星の死 ツキノイチバン 完結編」”. TCKコラム. 特別区競馬組合. 2020年3月10日閲覧。
  6. ^ ツキノイチバン 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月10日閲覧。
  7. ^ ツキノイチバンの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2020年3月10日閲覧。
  8. ^ a b c ツキノイチバン 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月9日閲覧。
  9. ^ a b c ツキノイチバンの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2020年3月9日閲覧。

外部リンク

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  NODES
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