ドゥー県(ドゥーけん、Doubs)は、フランスブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏の県である。ドゥー川に由来する。

ドゥー県
Doubs
Doubs章
ドゥー県章
位置
Doubsの位置
概要
県番号 25
地域圏 ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ
県庁所在地 ブザンソン
郡庁所在地 モンベリアル
ポンタルリエ
3
小郡 35
コミューン 594
県議会議長 クリスティーヌ・ブカン
フランス社会党
統計
人口
国内51位
  (2011年)
529,103人
人口密度 101人/km2
面積¹ 5,234 km2
¹ 「French Land Register data」(1平方キロ以上の湖沼、エスチュアリー、氷河などの水面積除く。
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地理

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ドゥー県の地図

ジュラ県オート=ソーヌ県テリトワール・ド・ベルフォールスイスヴォー州ヌーシャテル州ジュラ州と接する。標高の平均的な石灰岩質のジュラ山脈の中にあり、県最高地点はモン=ドールの1463mである。県は自然区分として、3つに分類される。水によってつくられた荒涼とした西部のソーヌ川平野、中央部の石灰岩質の台地、東部の山地帯は高地だが標高はそれほど高くない。

氷河と川に切り開かれた湖が点在する(湖の総面積は718ヘクタール)。

ドゥー県の動物は比較的豊富で、オオヤマネコの数が増えてきている。他にウシのモンベリアール種、ウマのコントワ種、ライチョウシャモアハヤブサオコジョが見られる。県内の草花ではゲンチアナがよく見られる。

気候

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海から遠く離れているドゥー県はその影響を受けておらず、大陸性気候である。冬には雪と霜があり、夏は旱魃や猛暑が頻発する嵐で中断する。

ドゥー県はフランス有数の寒い県であるが、標高のわりに温暖である。年間の気温の振幅は約70℃ある。

歴史

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ガリア人の一部族、セクアニ族(en)が暮らしていたが、その後ローマ帝国に5世紀まで支配され、ウェソンティオ(Vesontio、現在のブザンソン)に首都が置かれていた。フランシュ=コンテには非常に早くキリスト教が伝えられていた。212年に殉教したとされる聖フェレオルと聖フェルジューの兄弟が、ブザンソンに教会を建てた。

ブルグント族に征服された後、この地はアルル王国に併合され、封建時代が始まった。10世紀にブルゴーニュ伯領が成立すると、フランス王国神聖ローマ帝国の係争地となった。女伯ジャンヌ2世がフランス王フィリップ5世と結婚すると、伯領はフランスに属した。そのために、ブルゴーニュ伯領と歴史を共有するブルゴーニュ公国は、独立を維持していた。

シャルル豪胆公の一人娘マリーが、マクシミリアン(のちの神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世)と結婚した。1477年、ルイ11世の侵攻にもかかわらず、フランシュ=コンテ全体がハプスブルク家領となった。16世紀と17世紀にプロテスタントが、強固なカトリックの牙城であるフランシュ=コンテへ入ってきた。三十年戦争では、ザクセン=ヴァイマル軍とスウェーデン軍の侵攻で荒廃した。1678年、ナイメーヘンの和約スペイン支配から脱し、フランシュ=コンテはフランスへ復帰した。高度な自治を与えられ、経済的な繁栄を享受した。

ドゥー県が誕生したのは、フランス革命後の1790年3月4日である。1793年には独立国家マンドゥール共和国に併合され、その後モンベリアール公国が併合された。

第二次世界大戦中、ロモン(fr)のマキレジスタンス運動を繰り広げた。

行政

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ドゥー県はブザンソン郡、モンベリアール郡、ポンタルリエ郡で構成され、594のコミューンがある。

人口統計

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1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2010年
426 363 471 082 477 163 484 770 499 062 516 823 527 770

出典:SPLAF[1]、2006年以降INSE[2][3]

主なコミューン

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コミューン 人口
2010
変遷
2010/1999
ブザンソン 116,914[B 1]   -0,7 %
モンベリアル 25,875[B 2]    -6,1 %
ポンタルリエ 18,456[B 3]   0,5 %
オダンクール 14,825[B 4]    -4,6 %
ヴァランティニェ 11,388[B 5]    -8,8 %
モルトー 6,700[B 6]    5,1 %
ベトンクール 5,971[B 7]    -12,8 %
セロンクール 5,922[B 8]    3 %
ボーム・レ・ダーム 5,315[B 9]   -1,3 %
グラン・シャルモン 5,194[B 10]   1,8 %
ヴァルダオン 5,088[B 11]    26,3 %
出典 : Insee[4]

経済

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ベルフォール=モンベリアールの都市圏は主に自動車産業やTGVに依存した、地域の経済の中心である。ブザンソンは機械産業の中心である。

ギャラリー

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関連項目

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脚注

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出典

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  1. ^ http://splaf.free.fr/
  2. ^ "Recensement de la population au 1er janvier 2006". Insee. {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  3. ^ "Évolution et structure de la population du département (de 1968 à 2007)". Insee. {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  4. ^ "Population légales en vigueur à compter du 1er janvier 2013 - date de référence statistique: 1er janvier 2010" (PDF). INSEE. {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  • 2007年1月1日時点のINSEEが公表した人口
  1. ^ "Besançon". {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  2. ^ "Montbéliard". {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  3. ^ "Pontarlier". {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  4. ^ "Audincourt". {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  5. ^ "Valentigney". {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  6. ^ "Morteau". {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  7. ^ "Bethoncourt". {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  8. ^ "Seloncourt". {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  9. ^ "Baume-les-Dames". {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  10. ^ "Mandeure". {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  11. ^ "Mandeure". {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)

外部リンク

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