ルコームリ
ルコームリ(ベラルーシ語: Лукомль)は、ベラルーシ・ヴィーツェプスク州の自治体(Аграгарадок)である。ノヴァルコームリ(be)から5kmの位置にあり、付近にはルコームリ湖(be)がある。
ルコームリ Лукомль | |
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座標 : 北緯54度43分00秒 東経29度09分00秒 / 北緯54.71667度 東経29.15000度 | |
歴史 | |
初出 | 1078年 |
行政 | |
国 | ベラルーシ |
州 | ヴィーツェプスク州 |
地区 | チャシニツキ地区(be) |
村落 | ルコームリ |
人口 | |
人口 | (2010現在) |
村落域 | 554人 |
その他 | |
等時帯 | FET (UTC+3) |
郵便番号 | 211161 |
市外局番 | +375 2133 |
位置図 |
歴史
編集ルコームリはポロチャーネ族の移住によりできた都市の一つである。年代記に初めて言及されるのは1078年の、スモレンスク公・チェルニゴフ公ウラジーミル・モノマフと、ポロツク公フセスラフとの対立に関する記述においてである[1]。この時、フセスラフがスモレンスクとノヴゴロド・セヴェルスキーを破壊した報復として、ルコームリはウラジーミル・モノマフによって荒廃させられた。その後、フセスラフによる所領の配分により、ポロツク公国からルコームリ公国が分割され、最盛期を迎えた。
14世紀にリトアニア大公国が接収し、公国を所有した。また、ルコームリからŁukomscy家(注:ポーランド語表記)が現れた。1563年には、リヴォニア戦争(1558年 - 1583年)の過程でロシア・ツァーリ国の攻撃を受けた。
史跡
編集ルコームリ付近の、ルコームリ川の右岸には、約0.2ヘクタールの広さの城市跡があり[2]、考古学者によって再三の調査が行われた。2-5mの文化遺跡地層(ru)[注 1]は、異なる時代の層で形成されている。すなわちドニエプル・ドヴィンスク文化(ru)、バンツェロフシシィナ(ミンスク付近の地名)タイプの文化、中世ルーシ期(11世紀 - 13世紀)、リトアニア大公国期のものである。
出典
編集- ^ 國本哲男『ロシア原初年代記』267頁
- ^ Lukoml[リンク切れ]//Brockhaus and Efron Encyclopedic Dictionary
- ^ 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年 - p401
注釈
編集参考文献
編集- 國本哲男他訳 『ロシア原初年代記』 名古屋大学出版会、1987年。