三保姫
三保姫(みほひめ、慶長8年(1603年) - 寛永9年1月29日(1632年3月19日))は、岡山藩第2代藩主・池田忠雄の正室。父は徳島藩初代藩主・蜂須賀至鎮。母は小笠原秀政の娘、徳川家康の養女・敬台院。名は三保。法名は芳春院。嫁いだ後に阿波御前と呼ばれた。弟妹に蜂須賀忠英、正徳院(水野成貞正室)がいる。織田信長の玄孫[1]。また徳川家康の玄孫[2]であり、養孫でもある。
生涯
編集阿波国・徳島藩主・蜂須賀至鎮と正室・敬台院の長女として生まれる。その後、岡山藩主・池田忠雄に嫁ぐ。寛永7年(1630年)、忠雄との間に長男・池田光仲(後の鳥取藩初代藩主)を出産。寛永9年(1632年)、次男・池田仲政を出産。
同年、死去。享年30。法号は芳春院殿妙囿日香大姉。墓所は岡山県岡山市にある清泰院。鳥取市の学成寺に没後位牌が安置された。ちなみに同年に夫・忠雄も没した。