上善水の如し
概要
編集この言葉は最高の善は水のようなものであるという意味で用いられている[1]。
中国
編集老子道徳経からの言葉である[2]。紀元前400年ごろから紀元前220年ごろの書物。この書物は戦国の時代に敵を作らないで自国を守り、無意味な争いを避けて寿命を全うすることを説く[3]。
ここでは、本当に素晴らしい生き方とは水のようなものである。水は万物に利を与えているものの自らを主張することなく、様々な器によって自らの形を変えて争わない。そして皆が嫌がる下の方に身を置く[2]。水のように生きるとは、居場所を良い大地にし、澄んだ淵のように静かな心境で居る。仲間には仁を、語らいには信頼を、良い政治で治め、良い仕事をして、時を失しない。水の偉大なところは万物に準じて争わないところであり、このため咎められることも無いのであるとする[4]。
このため水のように生きることこそが道教においての道であり、悟りに近い生き方といえる[2]。
日本
編集黒田官兵衛は、この言葉にちなんで自らを如水と号したとされる[5]。黒田官兵衛の水五訓はこの言葉と通ずる[6]。
角福戦争で敗れた福田赳夫は、1972年自由民主党総裁選挙の翌朝に上善如水と揮毫していた[7]。
脚注
編集- ^ デジタル大辞泉. “上善水の如し(ジョウゼンミズノゴトシ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年7月17日閲覧。
- ^ a b c “老子道徳経8章-上善は水のごとし【早島天來の読み解く現代の老子】”. tao-academy.jp. 2023年7月17日閲覧。
- ^ “100万人の心の緑化作戦”. www.ohara.ac.jp. 2023年7月17日閲覧。
- ^ “水の教え”. web.agr.ehime-u.ac.jp. 2023年7月17日閲覧。
- ^ “東洋的サーバントリーダシップ「上善は水のごとし」”. 識学総研 (2022年1月22日). 2023年7月17日閲覧。
- ^ “第七十五回「仏の心:裏面」~水のごとく、柔らかく | 統国寺”. 2023年7月17日閲覧。
- ^ “小泉純一郎と野党の脱原発連合を演出した「角栄の愛弟子」(常井 健一) @gendai_biz”. 現代ビジネス (2018年5月26日). 2023年7月17日閲覧。
- ^ Nippo, The Niigata. “<4> 白瀧酒造(湯沢町) 高橋 晋太郎社長 | 魚沼 酒人考 | 未来のチカラ in 魚沼 | 新潟日報デジタルプラス”. www.niigata-nippo.co.jp. 2023年7月17日閲覧。