上條信
上條 信(かみじょう しん、1884年(明治17年)10月3日[1] - 1950年(昭和25年)10月8日)は、日本の実業家、政治家。筑摩鉄道(現・アルピコ交通上高地線)やバス事業を始め、多くの事業経営に携わった他、戦前・戦後に新村村長・長野県議会議員・衆議院議員をも務めた。
上條信 かみじょう しん | |
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生年月日 | 1884年10月3日 |
出生地 |
日本 長野県東筑摩郡新村 (現・長野県松本市) |
没年月日 | 1950年10月8日(66歳没) |
出身校 | 早稲田大学 |
親族 | 父・上條謹一郎(衆議院議員) |
選挙区 | 長野県第4選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1928年 - 1930年1月21日 |
長野県会議員 | |
新村長 | |
在任期間 | 1913年 - ? |
生涯
編集長野県東筑摩郡新村(現松本市)で元衆議院議員の上條謹一郎の長男として生まれる。
松本中学校から早稲田大学に進み、のち帰郷して家を継いだ。1913年に新村村長になる[2]。上条を中心とする有志が、1915年(大正4年)に 安筑軽便鉄道として、松本 - 稲核間の鉄道敷設免許を出願するも却下された。次いで、1918年に安曇鉄道が、松本 - 稲核間の鉄道敷設免許を出願するも却下される。さらに、1919年7月に筑摩鉄道として、松本 - 龍島間19kmの免許を出願し、同12月に認可を受けた[3]。1921年(大正10年)10月2日に松本 - 新村間6.2kmを開業、翌1922年9月26日に波多 - 島々間4.6kmを開業させた。さらに、1924年4月19日には、松本-浅間間の浅間線を全区間開業させた[3]。上条はこの他、株式会社東筑電気を設立し、筑摩自動車を創設して乗合自動車事業でバス路線を拡張、各種の事業を興し、銀行などに役員として関わった。1950年(昭和25年)10月8日に逝去、享年67[2]。
親族
編集⚫︎ 義甥:武夫 ( 信州銀行、上伊那銀行、取締役 湯澤源助 の養子、源助の妻は信の姉。武夫の実父は 貴族院多額納税者議員 依田仙右衛門)
⚫︎ 妹の夫:飯島正一 (衆議院議員)
⚫︎姉の夫:丸山盛雄 (衆議院議員)
⚫︎ 妻: 猪於惠( 十七銀行取締役 吉川芳太郎娘、叔伯母の義娘は貴族院多額納税者議員 小林暢娘)
年譜
編集- 1904年(明治37年) - 松本中学校を卒業する。
- 1913年(大正2年) - 新村村長になる。
- 1919年(大正8年)12月 - 筑摩鉄道として、松本駅 - 龍島駅間の19kmの鉄道免許を受ける。
- 1921年(大正10年)10月2日 - 松本駅 - 新村駅間の6.2kmを開業する。
- 1922年(大正11年)9月26日 - 波多駅 - 島々駅の間4.6kmを開業する。
- 1924年(大正13年)4月19日 - 松本駅 - 浅間駅間の浅間線を開業する。
- 1928年(昭和3年) - 衆議院議員に当選し、筑摩電気鉄道社長を辞任、伊原五郎兵衛に託す[4]。
- 1950年(昭和25年)10月8日 - 逝去、享年67。
脚注
編集参考文献
編集関連項目
編集- アルピコ交通上高地線
- アルピコ交通
- 松本電気鉄道浅間線
- 布引電気鉄道 - 開業時に社長に就任