仙台藩家臣
仙台藩家臣(せんだいはんかしん)
本項では、仙台藩主伊達家の江戸時代における家臣団(明治維新に際して、士族戸数4262戸、卒族戸数3050戸があった)についての説明の一部として、重臣である門閥の一覧を示す(召出については家名のみ。太刀上以上については知行高・居館・歴代当主を付記)[1]。各々が拝領した居城・居館等の詳細については仙台藩の城砦の項を参照のこと。
なお、内分分知によって諸侯(大名)に列した下記の3家は、仙台藩主(松平陸奥守)と同格の将軍家直臣であり、陪臣たる仙台藩家臣団(松平陸奥守家来)には含まれない[2]。
門閥の一覧
編集一門
編集- 角田石川家(21,380石、伊具郡角田要害)
- 亘理伊達家 (24,353石、亘理郡亘理要害)
- 水沢伊達家(16,135石、胆沢郡水沢要害)
- 涌谷伊達家(22,640石、遠田郡涌谷要害)
- 登米伊達家(20,000石、登米郡登米要害)
- 岩谷堂伊達家(5,015石、江刺郡岩谷堂要害)
- 宮床伊達家(8,017石、黒川郡宮床所)
- 岩出山伊達家(14,643石、玉造郡岩出山要害)
- 川崎伊達家(2,000石、柴田郡川崎要害)
- 真坂白河家(1,043石、栗原郡真坂所)
- 三沢家(3,000石、胆沢郡前沢所)
- 廃絶
- 村田伊達家(30,000石、柴田郡村田所。寛永3年(1626年)無嗣断絶)
- 岩ヶ崎伊達家(30,000石、栗原郡岩ヶ崎所。寛永4年(1627年)無嗣断絶)
- 吉岡伊達家(30,000石、黒川郡吉岡要害。寛永11年(1634年)無嗣断絶) ※一家・飯坂家へ
- 伊達右京家(3,000石。享保20年(1735年)無嗣断絶)
- 伊達村風(吉村の三男)
- その他
一家
編集- 鮎貝家(1,000石、本吉郡気仙沼所)
- 秋保家(1,000石、名取郡長袋)
- 柴田家(5,157石、柴田郡船岡要害)
- 小梁川家(1,000石、江刺郡野手崎所) ※伊達氏庶流
- 塩森家(238石、栗原郡若柳) ※伊達氏庶流(小梁川家分家)
- 塩森宗綱=宗直(石川景光の子)-宗辰=親直(石川宗程の二男)-清長-親通=直董(岩谷堂伊達村富の四男)=隆良=直徳
- 坂元大條家[4](4,000石、亘理郡坂元要害) ※伊達氏庶流
- 泉田家(1,420石、磐井郡薄衣所)
- 泉田孫平次重時-元時-源三郎重時-虎時-定時=胤時(中島成康の子)-倫時=常時(胤時の子)=基時(倫時の子)-基光
- 村田家(687石、桃生郡永井在所)
- 村田宗友-宗国-宗継-宗門=殖興(葛西重敬の子)-殖継-成殖-盛殖-幸殖-寧殖=教殖(佐々木貞直の子)
- 黒木家(800石、栗原郡照越在所)
- 高清水石母田家(5,000石、栗原郡高清水要害)
- 瀬上家(2,000石、桃生郡鹿又所) ※伊達氏庶流
- 瀬上景康=景純(中野時綱の二男)=宗敦(富田守継の子)-寛敦-景敦-景元-景明-景福-景韶-景禄=景範(大町盛頼の子)
- 磐井郡摺沢→1617磐井郡涌津→1661桃生郡中津山→1694桃生郡鹿又→1726栗原郡石越→1744桃生郡鹿又
- 中村家(4,524石、栗原郡岩ヶ崎所)
- 長尾石川家(150石、志田郡長尾)
- 石川景光-宗頼=宗程(茂庭良元の五男)-宗能=宗頼(宗程の三男)-元光=光定(石川光重の子)-光成-光広-光安-光謙
- 中目家(497石、江刺郡上門岡)
- 中目長重-長次-長清=長時(天童頼次の二男)=景長(岡本景興の子)-盛長-長盈-長常-清長-長良
- 亘理家(5,000石、栗原郡佐沼要害)
- 鶯沢梁川家(300石、栗原郡鶯沢) ※伊達氏庶流
- 片倉家(18,000石、刈田郡白石城)
- 廃絶
- 黒川家(150石、宮城郡西田中。寛永3年(1626年)無嗣断絶)
- 黒川季氏
- 白石家(5,000石、遠田郡米岡所。寛文2年(1662年)無嗣断絶)
- 飯坂家(3,000石、胆沢郡前沢。寛文11年(1671年)改易) ※伊達氏庶流
- 藤田家(江刺郡伊手。延宝6年(1678年)改易)
- 桑折家(飯坂家相続のため廃家) ※伊達氏庶流
準一家
編集- 猪苗代家(448石、胆沢郡西根)
- 天童家(1,240石、宮城郡八幡在所)
- 松前家(2,000石、磐井郡松川在所)
- 葦名家(1,500石、栗原郡石越在所)
- 高泉氏(2,700石、登米郡米谷所)
- 上遠野家(800石、栗原郡大川口在所)
- 保土原家(329石、志田郡新沼)
- 保土原行藤=行義(行藤の嫡孫)=行久(庄子久重の二男)-行広-行貞-行雄=行方(行貞の子)=行古(福原資貞の二男)=行泰(行方の子)-行之-行等-行徳=行武(行等の子)
- 福原家(800石、宮城郡高城)
- 廃絶
- 猪苗代縫殿家(明暦3年(1657年)無嗣断絶)
- 八幡家(天和元年(1681年)改易)※伊達氏庶流
- 大塚家(天和3年(1683年)改易)
- 北郷家(元禄9年(1696年)改易)
- 北郷隆勝-隆貞-隆次
- 葛西家(桃生郡飯野川所。安永2年(1773年)改易、のち平士)
- 葛西俊信=重常(葛西重信の子)-重利-清方-清香-清胤
- 本宮家(110石。文化8年(1811年)改易)
- 本宮頼重-頼孝-頼寛-頼常=頼永(畠中以直の二男)-頼章-
一族
編集- 大立目家(1,000石、桃生郡飯野川所)
- 金ヶ崎大町家(3,000石、胆沢郡金ヶ崎要害)
- 大町元頼-定頼-永頼-頼直-章頼-朗頼-成頼-景頼-盛頼-殖頼
- 宇多郡谷地小屋→1630磐井郡藤沢→1644胆沢郡西根
- 大塚家(187石、磐井郡西永井)
- 大塚高頼-重頼-意頼-時頼-意頼=幸頼(葛西清方の三男)=長頼(中目景長の二男)-
- 大内家(1,390石、登米郡西郡所)
- 大内定綱-重綱-義春-義直=義繁(秋保利盛の二男)-義実-義門-定知-定安-基恭
- 胆沢郡前沢→1644登米郡西郡
- 西大條家(569石、桃生郡前谷地)
- 西大條宗義-義綱-義久=重義(泉田孫平次重時の子)=義諌(泉田源三郎重時の子)=恒義(西大條定義の子)-義行-興義-義光-時実
- 小原家(526石、宮城郡松森在所)
- 小原元綱-照継-重継=惟義(大内重綱の二男)-武清-武元-武春=武親(登米伊達村良の子)=武元(武春の子)-元治=武春(大内定安の子)
- 西大立目家(170石、磐井郡薄衣)
- 西大立目重信-本信-信宅-時信-行信-孝信=長信(中目盛長の二男)-良信-友信=近信(猪苗代長盛の子)=庸信
- 上口内中島家(1,880石、江刺郡上口内要害)
- 中島意成=常成(上遠野久成の長男)=宣成(上遠野久成の二男)-利成-宴成-紹成=以成(利成の二男)-寛意=意任(以成の子)=意実(柴田朝隆の子)=意元(柴田成義の子)-亀五郎=意時-意徳
- 1613加美郡小野田→1694江刺郡上口内
- 宮内家(1,420石、宇多郡駒ヶ嶺所)
- 宮内常清=定清(片平重綱の長男)=透清(大條宗快の三男)=定清(宮内重條の長男)=直清(宮内條興の二男)-信清-春清-元清-盛清
- 加美郡四竈→1644栗原郡武鑓→1718宇多郡駒ヶ嶺
- 金山中島家(2,000石、伊具郡金山要害)
- 松山茂庭家(13,000石、志田郡松山所)
- 下衣川遠藤家(640石、胆沢郡下衣川)
- 佐藤家(1,000石、伊具郡小斎在所)
- 佐藤勝信-実信-清信-易信-因信-為信-本信-道信=助信(為信の子)-春信=氏信(佐藤信庸の子)-恒信
- 畠中家(100石、宮城郡中野)
- 畠中清頼-定頼-清長=重存(畠中経吉の子)=以直(本宮頼寛の二男)-安亮-義道=信玅(遠藤行信の子)-生存=和久(畠中明之の子)
- 片平家(1,391石、柴田郡村田所)
- 下郡山家(450石、宮城郡岩切)
- 下郡山朝秀-利重-重定=重時(針生重信の二男)-重種=朝直(飯野盛弘の二男)=広哉(太田資幹の二男)-成広-広範=常陳(伊達村常の子)-陳之-陳就
- 磐井郡相川→1615黒川郡東成田→1782宮城郡岩切
- 沼辺家(1,000石、江刺郡人首要害)
- 沼辺重仲-重次-重長-武雅-武能=武伸(武雅の子)-武族-武雅-武徳-武房
- 中野大町家(500石、宮城郡中野)
- 大町義頼-通頼-良頼-頼利-頼房-頼長=頼道(大町章頼の三男)-
- 高城家(420石、桃生郡小船越)
- 高城宗直=直吉(大内景弘の二男)=直清(宗直の子)-直常=直重(八乙女重久の六男)=直俊(高城直候の子)-直晴-直定-秀直-広直=衡直(秀直の子)-英直
- 磐井郡上折壁→1636桃生郡小船越
- 大松沢家(615石、黒川郡大松沢)
- 大松沢元実-定実-頼実-広実=信実(大松沢辰実の子)-以実-文実=定実(以実の子)=良実(亘理倫篤の子)-衡実
- 桜目石母田家(1,000石、栗原郡桜目)
- 石母田頼章(石母田定頼の三男)=頼寿(中村直時の二男)-愛頼-多頼=頼峰(石母田永頼の二男)-頼賢-頼継-頼至
- 坂家(309石、磐井郡黄海)
- 廃絶
- 白岩家(寛永16年(1639年)改易)
- 大窪家(正保3年(1646年)改易)
- 大窪元成
- 下飯坂家(慶安2年(1649年)改易) ※伊達氏庶流
- 田手家(300石、栗原郡清水。寛文5年(1665年)無嗣断絶) ※伊達氏庶流
- 成田家(元禄9年(1696年)改易)
- 石田家(享保9年(1724年)改易、後に平士) ※伊達氏庶流
- 石田宗朝=與純(大波長成の二男)-常員-常治
宿老
編集- 廃絶
- 屋代家(柴田郡船岡。慶長12年(1607年)改易、後に平士)
- 屋代景頼
- 名取郡岩沼→1602柴田郡船岡
- 牧野家(2,500石、加美郡宮崎所。慶安3年(1650年)改易、後に平士)
- 牧野盛仲-茂仲
- 原田家(4,380石、柴田郡船岡。寛文11年(1671年)改易)
- 冨塚家(宇多郡駒ヶ嶺。享保3年(1718年)改易)
- 冨塚宗綱-信綱-重信-重長-重標
- 栗原郡真坂→1644宇多郡駒ヶ嶺
- 津田家(栗原郡佐沼。宝暦7年(1757年)改易)
着坐
編集- 只野家(1,200石、加美郡中新田所)
- 只野勝吉-良純=良重(武藤直房の子)=義剛(多田義重の二男)=方義(良重の子)-義福-行義-由章=由予(真山為幹の子)=寛良(武藤直規の子)
- 尾山大條家(601石、伊具郡尾山在所) ※伊達氏庶流
- 大條実頼-修理元頼-定頼-直頼=茂頼(定頼の子)=易頼(佐藤易信の子)-木工元頼-多頼-度頼-蔭頼-
- 藤沢奥山家(1,813石、磐井郡藤沢所)
- 奥山兼清-兼義=重信(兼清の四男)-常信-常尚=清章=清福(奥山常有の子)-清高-清庸=清将(清高の子)-清成-清晴
- 名取郡岩沼→1636名取郡下野郷→1698磐井郡藤沢
- 小野田奥山家(1,666石、加美郡小野田)
- 岩沼古内家(7,042石、名取郡岩沼要害)
- 宮崎古内家(3,283石、加美郡宮崎所)
- 高野家(1,650石、刈田郡平沢要害)
- 高野光兼-可兼-俊兼=武兼(鈴木師久の子)-倫兼-博兼-知哲-求知=知親-知寿
- 伊東家(700石、桃生郡根古)
- 佐々家(3,036石、伊具郡丸森所)
- 佐々元綱-元定-定隆=定條(佐々定信の長男)=義元(佐々定信の二男)=康定(定條の子)-定延-信定-広元-資定-元則
- 富田家(2,000石、桃生郡小野所)
- 長沼家(1,500石、栗原郡宮沢要害)
- 長沼盛重-信重-致貞-致信-致真-致泰-致辰-致豊-致中=致季(泉田基時の子)
- 布施家(1,700石、本吉郡柳津所)
- 黒沢家(3,300石、桃生郡中津山所)
- 芝多家(1,000石、加美郡谷地森)
- 柴田常元-常信=芝多常春(大波元重の子)-村如=康文(和田為起の子)-信憲=常煕(信憲の嫡孫)-常則-常質
- 1684柴田郡村田→1866加美郡谷地森
- 松岡家(1,000石、刈田郡内親)
- 松岡長時-実時=安時(片平定成の二男)-敬時-時義-時宜-時良-時修
- 石田家(1,500石、黒川郡大松沢所)
- 石田信久=景久(油井景成の二男)-良直-景直-元直-準直-昌直=寛直(準直の子)-廉直
- 平賀家(2,000石、磐井郡大原所)
- 古田家(800石、桃生郡北村)
- 松本家(1,300石、遠田郡休塚)
- 松本宗成=信成=信良(天童頼次の子)=信季(遠藤俊信の五男)-信友-信任-成保-成徳-成章
- 和田家(1,814石、宮城郡蒲生在所)
- 氏家家(2,000石、志田郡下中目在所)
- 氏家清勝-勘左衛門清継-主水清寿-清也-主膳清寿-筑前清継-清主=清成(茂庭苞元の子)-清氏-清庸
- 戸田家(637石、黒川郡大衡)
- 戸田定隆(良覚院快真の子)-隆時-隆応-隆定-峰隆=隆晨(車隆利の子)-隆芳-季隆-隆房-隆清
- 和久家(377石、栗原郡沼倉)
- 笠原家(1,113石、登米郡石森所)
- 新田大町家(600石、栗原郡新田)
- 大町定頼-定久-定信=頼純(大町頼利の二男)-頼広-頼泰=頼末(頼広の子)-頼根-頼図=頼易(頼根の子)
- 真山家(2,000石、磐井郡下折壁所)
- 高屋家(医師・1,030石、栗原郡平形)
- 高屋宗慶-宗伯-宗甫-宗活-英州-英俊=英顕(高屋宋行の子)-英周-英行-英時-英章
- 本吉郡柳津→1722栗原郡平形
- 猪苗代謙道家(連歌師・300石)
- 猪苗代兼如-兼与=兼説(猪苗代正益の子)-兼寿=兼郁-兼恵=兼誼(渡辺玄徳の三男)-兼貞-
- 錦織家(医師・350石、宮城郡上谷刈)
- 錦織即休=休意(即休の弟)-休庵-高義-高勝-習高-義路-義門-
- 良覚院(修験・300石)
- 良覚院栄真=快真(窪田隆次の子)-真盛-蝶真-即真=諄真(戸田隆応の三男)-円真=陳真(布施定誠の三男)-
- 廃絶
- 貝田家(政宗期に断絶)
- 山岡家(1,200石、宮城郡手樽。寛永18年(1641年)無嗣断絶、後に平士)
- 山岡重長-長勝=泰長(鈴木三四郎の子、重長外孫)
- 鈴木家(7,300石、栗原郡岩ヶ崎。承応2年(1653年) 田村家再興のため廃家。以後、田村家家老格)
- 山口家(8,000石?、宮城郡上愛子。万治2年(1659年)改易)
- 山口重如
- 古田家(寛文元年(1661年)無嗣断絶) ※伊達氏庶流(小梁川家分家)
- 古田重直-元直-共直
- 志賀家(寛文年間(1661-73年)改易)
- 鴇田家(延宝元年(1673年)改易。後に平士)
- 古内造酒祐家(貞享3年(1686年)無嗣断絶)
- 文字茂庭家(2,486石、栗原郡文字。元禄7年(1694年)改易)
- 遠山家(1,500石、牡鹿郡湊在所。宝永元年(1704年)改易、後に平士)
- 三分一所家(300石。享保3年(1718年)改易、後に平士)
- 川島家(安永2年(1773年)改易)
- 川島宗泰-景泰-直泰-信泰=行高(早川義泰の子)-行察-行信
太刀上
編集- 国分家(200石) ※一族より降格
- 国分行信-重信-重通-保信=与信(飯田成親の二男)-信行-
- 増田家(334石) ※一族より降格
- 増田宗繁-興繁-直繁=繁良(興繁の子)=繁信(佐藤易信の子)=繁倫(古内義連の子)-繁員=繁寛(繁章の子)-繁康
- 上郡山家(300石) ※一族より降格
- 上郡山常為-高為=重常(常為の子)-景常-守為-為常=為道(山路重貞の二男)-多聞為倫=為巳(上郡山為憲の長男)=進為倫=為康(後藤元康の五男)-千家之介為倫=熹為(村上利福の二男)-信為
- 飯田家(50石、桃生郡女川) ※伊達氏庶流(桑折家分家)。一族より降格
- 砂金家(500石、加美郡鳥屋崎) ※一族より降格
- 藤沢家(405石、栗原郡沼倉)
- 坪沼梁川家(500石、名取郡坪沼) ※伊達氏庶流
- 梁川頼長(梁川宗頼の二男)-頼次=頼道(高橋信次の二男)-
- 平渡茂庭家(1,347石、志田郡平渡)
- 茂庭元咸(茂庭姓元の二男)=元辰(茂庭元明の二男)-元雅=元恒(元辰の三男)=元長(茂庭苞元の三男)-元良-元敏-元徳
- 下真山白河家(玉造郡下真山)
- 白河朝清(白河義綱の三男)=朝国-直定-親之-親継-
召出
編集- 一番座
岡村(極楽院)、鮎貝、秋保、秋保、塩森、大條、村田、石母田、石母田、亘理、上郡山、西大條、宮内、遠藤、佐藤、畠中、下郡山、沼辺、砂金、大町、高城、高城、大松沢、石母田、但木、桑島、田村、中村、日野、遠藤、湯目、後藤、横尾、小野、堀越、茂庭、秋保
- 二番座
猪苗代、葛西、上遠野、保土原、金上、清水、大波、塩、白津、真田、桑島、大浪、長沼、橋本、青木、青木、南、加藤、田中、大和田、五十嵐、松林、大波、今泉、大島、北、上野、沼辺、本多、佐藤、中山、木幡、山家、中地、大河内、太田、武田、古内、浅井、田辺、早川、熊谷、鈴木、椙原、布施、木村、山岸、安田、石田、小島、荒井
史料
編集- 『伊達世臣家譜』 編纂:田辺希績
- 『伊達世臣家譜続編』 編纂:田辺希績
- 『御知行被下置御帳』(『仙台藩家臣録』『元禄補遺仙台藩家臣録』)