伊達邦隆
伊達 邦隆(だて くにたか)は、江戸時代後期の武士。陸奥国仙台藩一門第四席・涌谷伊達家12代(亘理氏30代)当主。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天保6年(1835年) |
死没 | 慶応3年3月28日(1867年5月2日) |
改名 | 鉉次郎(幼名)、邦隆 |
別名 | 兵庫・安芸(通称)、梅渓、桂香 |
戒名 | 文隆院桂香道英大居士 |
墓所 | 宮城県遠田郡涌谷町の見龍寺 |
主君 | 伊達斉邦、慶邦 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 涌谷伊達氏 |
父母 | 伊達義基、但木直行娘 |
兄弟 | 邦隆、亘理隆教 |
妻 | 石川宗光娘・元子 |
子 | 胤元、千保、厚、喜保、栄、郁 |
生涯
編集天保6年(1835年)、伊達義基の子として誕生。幼名は鉉次郎、のち仙台藩12代藩主・伊達斉邦の偏諱を受けて、邦隆と名乗る。
天保10年(1839年)6月、父・義基の死去により家督を相続し、涌谷邑主となる。天保13年(1842年)1月、一門角田邑主石川宗光の娘・元子を娶る。弘化4年(1847年)、家臣・鈴木篤親、篤恭親子を江戸の高島秋帆に入門させ洋式砲術を学ばせる。 安政2年(1855年)、領内の郷学学習館を月将館と改称する。
天保年間、義基の代に荒地を開拓して桑園を開いたことから、領内で養蚕を奨励した。
系譜
編集偏諱を受けた人物
編集出典
編集- 『仙台人名大辞書』
- 『東北産業経済史: 仙台藩』
関連項目
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