伊都郡
和歌山県(紀伊国)の郡
人口21,122人、面積332.87km²、人口密度63.5人/km²。(2024年11月1日、推計人口)
以下の3町を含む。
郡域
編集1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、かつらぎ町の一部(新城字嶽原・長ノ盛)を除く上記3町に橋本市および紀の川市の一部(上鞆渕)と奈良県五條市の一部(畑田町の一部)を加えた区域にあたる。
歴史
編集古代
編集式内社
編集神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
伊都郡 2座(大1座・小1座) | |||||||
小田神社 | ヲタノ | 小 | 小田神社 | 和歌山県橋本市高野口町小田 | |||
丹生都比女神社 | ニツ- | 名神大 | 月次新嘗 | 丹生都比売神社 | 和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野 | 紀伊国一宮[注 1] | [1] |
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- ^ 『中世諸国一宮制の基礎的研究』では、紀伊国の一宮として日前神宮・國懸神宮、丹生都比売神社、伊太祁曽神社の3社が挙げられる (中世諸国一宮制 & 2000年, p. 522-525)。
近世
編集知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
藩領 | 紀伊和歌山藩 | 1町 87村 |
下宿村、背ノ山村、移村、窪村、萩原村、中村(現・かつらぎ町笠田中)[1]、島村、佐野村、東村(現・かつらぎ町笠田東)、広浦村、柏木村、大谷村、新在家村、大藪村、丁ノ町村、新田村、妙寺村、西飯降村、大畑村、中飯降村、短野村、滝村、東谷村、平村、広口村、大野村、名倉村、入郷村、小田村、南名古曽村、北名古曽村、浄土寺村、伏原村、端場村、学文路村、丹生川村、神野々村、岸上村、野村、柏原村(現・橋本市)、出塔村、山田村、吉原村、広野村、田原村、上中村、下中村、九重村、嵯峨谷村、竹尾村、市脇村、東家村、寺脇村、古佐田村、橋本町、原田村、妻村、河瀬村、下兵庫村、上兵庫村、中島村、中下村、芋生村、垂井村、上宿村、赤塚村、下上田村、恋野村、只野村、須河村、谷奥深村、彦谷村、小原田村、菖蒲谷村、辻村、橋谷村、慶賀野村、矢倉脇村、柱本村、馬場村(現・橋本市南馬場)、胡麻生村、細川上村[2]、細川下村[2]、境原村、杉尾村、霜草村、山内村、平野村 |
その他 | 高野山領 | 1町 71村 |
上天野村、下天野村、神田村、東渋田村、西渋田村、上古沢村、中古沢村、下古沢村、笠木村、椎出村、西郷村、東郷村、北又村、九度山村、三谷村、兄井村、寺尾村、山崎村、教良寺村、平沼田村、皮張村、慈尊院村、中道村、清水村、馬場村(現・橋本市北馬場)[3]、東畑村、西畑村、向副村、賢堂村、横座村、河根村、東富貴村、西富貴村、上筒香村、中筒香村、下筒香村、西ヶ峯村、南村、林村、平原村、柏原村(現・高野町)、東又村、杖ヶ藪村、南宿村、北宿村、市平村、大滝村、相之浦村、中南村、久木村、池ノ窪村、新子村、北寺村、簗瀬村[4]、峰村、古向村、有中村、中越村、臼谷村、滝谷村、湯川村[5]、新城村、中村(現・かつらぎ町新城)、上番村、志賀村、花阪村、細川村、星山村、日高村、御所村、星川村、高野山寺内[6] |
近現代
編集町村制以前
編集- 明治2年(1869年)8月 - 高野山領が堺県の管轄となる。
- 明治3年4月27日(1870年5月27日) - 堺県の管轄地域が五條県の管轄となる。
- 明治4年
- 明治初年 - 広野村が吉原村に合併。(2町157村)
- 明治5年(1872年) - 東畑村が清水村に合併[7]。(2町156村)
- 明治7年(1874年) - 中村(現・かつらぎ町笠田中)が改称して笠田中村となる。
- 明治8年(1875年)(2町149村)
- 中村(現・かつらぎ町新城)が新城村に合併。
- 峰村・古向村・有中村・中越村・臼谷村・滝谷村が簗瀬村に合併。
- 明治9年(1876年) - 南名古曽村・北名古曽村が合併して名古曽村となる。(2町148村)
- 明治11年(1878年) - 寺脇村が東家村に合併。(2町147村)
- 明治12年(1879年)
町村制以降
編集- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(22村)
- 橋本村 ← 市脇村、東家村、小原田村、菖蒲谷村、橋本町、古佐田村、妻村、原田村(現・橋本市)
- 名倉村 ← 大野村、名倉村、入郷村[飛地](現・橋本市)
- 端場村(単独村制。現・橋本市)
- 山田村 ← 吉原村、山田村、出塔村、柏原村、野村、神野々村(現・橋本市)
- 紀見村 ← 辻村、橋谷村、慶賀野村、矢倉脇村、柱本村、杉尾村、境原村、細川上村、細川下村、胡麻生村、北馬場村(現・橋本市)
- 富貴村 ← 東富貴村、西富貴村、上筒香村、中筒香村、下筒香村(現・高野町)
- 学文路村 ← 向副村、賢堂村、横座村、清水村、西畑村、南馬場村、学文路村(現・橋本市)
- 河根村 ← 河根村、東郷村、北又村、市平村、丹生川村(現・九度山町)
- 九度山村 ← 九度山村、慈尊院村、入郷村[飛地を除く]、下古沢村、中古沢村、上古沢村、笠木村、椎出村(現・九度山町)
- 天野村 ← 上天野村、下天野村、神田村、志賀村、新城村、那賀郡長谷宮村[字嶽原・長ノ盛](現・かつらぎ町)
- 花園村 ← 簗瀬村、北寺村、新子村、池ノ窪村、中南村、久木村(現・かつらぎ町)
- 大谷村 ← 大谷村、新在家村、大藪村、柏木村(現・かつらぎ町)
- 四郷村 ← 滝村[飛地を除く]、広口村、平村、東谷村(現・かつらぎ町)
- 信太村 ← 田原村、下中村、上中村、九重村、嵯峨谷村、竹尾村(現・橋本市)
- 応其村 ← 名古曽村、小田村、伏原村、浄土寺村(現・橋本市)
- 岸上村(単独村制。現・橋本市)
- 高野村 ← 相之浦村、大滝村、高野山寺内、細川村、西郷村、西ヶ峯村、林村、南村、柏原村、東又村、平原村、杖ヶ藪村、花坂村、湯川村(現・高野町)
- 見好村 ← 山崎村、教良寺村、三谷村、兄井村、寺尾村、皮張村、平沼田村、東渋田村、西渋田村、島村、星川村、星山村、御所村、日高村(現・かつらぎ町)
- 妙寺村 ← 妙寺村、中飯降村、西飯降村、大畑村、短野村、丁ノ町村、新田村、滝村[飛地](現・かつらぎ町)
- 隅田村 ← 河瀬村、下兵庫村、上兵庫村、中島村、中下村、芋生村、垂井村、真土村[大部分]、平野村、山内村、霜草村(現・橋本市)
- 恋野村 ← 下上田村、中道村、赤塚村、恋野村、只野村、谷奥深村、彦谷村、須河村、南宿村、北宿村(現・橋本市)
- 笠田村 ← 高田村、移村、背ノ山村、窪村、萩原村、笠田中村、東村、佐野村、広浦村(現・かつらぎ町)
- 上番村が那賀郡鞆淵村の一部となる。
- 真土村の一部が奈良県宇智郡牧野村の一部となる。
- 明治23年(1890年) - 郡役所が橋本町に移転。
- 明治27年(1894年)5月10日 - 橋本村が町制施行して橋本町となる。(1町21村)
- 明治30年(1897年)9月1日 - 郡制を施行。
- 明治43年(1910年)9月1日(4町18村)
- 大正9年(1920年)6月1日 - 笠田村が町制施行して笠田町となる。(5町17村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和3年(1928年)11月1日 - 高野村が町制施行して高野町となる。(6町16村)
- 昭和27年(1952年)1月1日 - 端場村が応其村に編入。(6町15村)
- 昭和29年(1954年)8月1日 - 隅田村・恋野村が合併し、改めて隅田村が発足。(7町13村)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和33年(1958年)
- 平成17年(2005年)10月1日 - 花園村がかつらぎ町に編入。(4町)
- 平成18年(2006年)3月1日 - 高野口町が橋本市と合併し、改めて橋本市が発足、郡より離脱。(3町)
変遷表
編集自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | |
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市脇村、東家村、小原田村、 菖蒲谷村、橋本村、古佐田村 妻村、原田村 |
橋本村 | 明治27年5月1日 町制 |
橋本町 | 昭和30年1月1日 橋本市 |
平成18年3月1日 橋本市 |
橋本市 | |
岸上村 | 岸上村 | 岸上村 | 岸上村 | ||||
吉原村、山田村、出塔村、 柏原村、野村、神野々村 |
山田村 | 山田村 | 山田村 | ||||
辻村、橋谷村、慶賀野村、 矢倉脇村、柱本村、杉尾村、 境原村、細川上村、細川下村、 胡麻生村、北馬場村 |
紀見村 | 紀見村 | 紀見村 | ||||
向副村、賢堂村、横座村、 清水村、西畑村、南馬場村、 学文路村 |
学文路村 | 学文路村 | 学文路村 | ||||
河瀬村、下兵庫村、上兵庫村、 中嶋村、中下村、芋生村、 垂井村、真土村(大部分)、平野村、 山内村、霜草村 |
隅田村 | 隅田村 | 昭和29年8月1日 隅田村 | ||||
下上田村、中道村、赤塚村、 恋野村、只野村、谷奥深村、 彦谷村、須河村、南宿村、 北宿村 |
恋野村 | 恋野村 | |||||
大野村、名倉村、入郷村(一部) | 名倉村 | 明治43年9月1日 町制改称 高野口町 |
高野口町 | 昭和30年4月15日 高野口町 | |||
田原村、下中村、上中村、 九重村、嵯峨谷村、竹尾村 |
信太村 | 信太村 | 信太村 | ||||
名古曽村、小田村、伏原村、 浄土寺村 |
応其村 | 応其村 | 応其村 | ||||
端場村 | 端場村 | 端場村 | 昭和27年1月1日 応其村に編入 | ||||
妙寺村、中飯降村、西飯降村、 大畑村、短野村、丁ノ町村、 新田村、滝村(一部) |
妙寺村 | 明治42年9月1日 町制 |
妙寺町 | 妙寺町 | 昭和33年7月1日 かつらぎ町 |
かつらぎ町 | かつらぎ町 |
高田村、移村、背山村、 窪村、萩原村、笠田中村、 東村、佐野村、広浦村 |
笠田村 | 大正9年4月1日 町制 |
笠田町 | 昭和30年3月31日 伊都町 | |||
大谷村、新在家村、大藪村、 柏木村 |
大谷村 | 大谷村 | 大谷村 | ||||
滝村(大部分)、広口村、平村、 東谷村 |
四郷村 | 四郷村 | 四郷村 | ||||
山崎村、教良寺村、三谷村、 兄井村、寺尾村、皮張村、 平沼田村、東渋田村、西渋田村、 島村、星川村、星山村、 御所村、日高村 |
見好村 | 見好村 | 見好村 | 昭和30年3月1日 見好村 | |||
上天野村、下天野村、神田村、 志賀村、新城村、那賀郡長谷宮村(一部) |
天野村 | 天野村 | 天野村 | ||||
梁瀬村、北寺村、新子村、 池之窪村、中南村、久木村 |
花園村 | 花園村 | 花園村 | 花園村 | 平成17年10月1日 かつらぎ町に編入 | ||
九度山村、慈尊院村、入郷村(大部分)、 下古沢村、中古沢村、上古沢村、 笠木村、椎出村 |
九度山村 | 明治42年9月1日 町制 |
九度山町 | 昭和30年3月31日 九度山町 |
九度山町 | 九度山町 | |
河根村、東郷村、北又村、 市平村、丹生川村 |
河根村 | 河根村 | 河根村 | ||||
相ノ浦村、大滝村、高野山、 細川村、西郷村、西ヶ峯村、 林村、南村、樫原村、 東又村、平原村、杖ヶ藪村、 花坂村、湯川村 |
高野村 | 昭和3年11月1日 町制 |
高野町 | 高野町 | 高野町 | 高野町 | 高野町 |
東富貴村、西富貴村、上筒香村、 中筒香村、下筒香村 |
富貴村 | 富貴村 | 富貴村 | 昭和33年6月1日 高野町に編入 |
行政
編集- 歴代郡長
『和歌山県史 人物』による[8]。
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 松山管吾 | 明治12年(1879年)1月21日 | ||
2 | 一色小十郎 | 明治15年(1882年)9月11日 | ||
3 | 中西光三郎 | 明治16年(1883年)11月5日 | ||
4 | 岡文一郎 | 明治20年(1887年)11月18日 | ||
5 | 稲葉通久 | 明治23年(1890年)5月2日 | ||
6 | 三輪国次郎 | 明治30年(1897年)12月18日 | ||
7 | 佐々木米三郎 | 明治35年(1902年)5月27日 | ||
8 | 小林保 | 明治37年(1904年)5月4日 | ||
9 | 田能稔 | 明治40年(1907年)3月11日 | ||
10 | 豊永狷介 | 明治43年(1910年)3月31日 | ||
11 | 月沢増男 | 大正3年(1914年)4月11日 | ||
12 | 村地信夫 | 大正4年(1915年)9月1日 | ||
13 | 関屋延之助 | 大正6年(1917年)10月 | ||
14 | 柳瀬謹三 | 大正8年(1919年)6月23日 | ||
15 | 宮原顕三 | 大正10年(1921年)8月26日 | ||
16 | 稲内清二 | 大正12年(1923年)3月16日 | 大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
編集参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 30 和歌山県、角川書店、1985年7月1日。ISBN 404001300X。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 和歌山県史編さん委員会 編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。