佐伯敏子 (写真家)
佐伯 敏子(さえき としこ、1906年[2]〈明治39年〉3月12日[3] - 1984年(昭和59年)10月11日[4])は、日本の写真家、歌人。熊本県熊本市出身[5]、私立女子英学塾(後の津田塾大学)卒業[2]。旧姓は梅村[5]。
佐伯 敏子 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 熊本県熊本市 |
生年月日 | 1906年3月12日 |
没年月日 | 1984年10月11日 |
言語 | 日本語 |
最終学歴 | 私立女子英学塾 |
グループ名 |
日本鳥類保護連盟 日本野鳥の会 |
使用カメラ | アサヒフレックス[1]、アサヒペンタックス[1]、マミヤシックス[1] |
活動時期 | 1958年頃 - |
作品 |
『庭にくる鳥 - 佐伯敏子写真集』 『庭に来る鳥 その後 佐伯敏子写真集』 『庭に来る鳥 III』 |
他の活動 | 歌人 |
佐伯 敏子 | |
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ペンネーム | 梅村 敏子 |
誕生 | 梅村 敏子 |
言語 | 日本語 |
ジャンル | 短歌 |
配偶者 | 佐伯梅友 |
子供 | 息子2人、娘2人 |
所属 | アララギ短歌会 |
ウィキポータル 文学 |
1927年(昭和2年)から1931年(昭和6年)まで桜蔭高等女学校(後の桜蔭学園)の教員を務めた後、1947年(昭和22年)、英語教室「津田英語会」創立共に、同会の講師となった[5]。私生活では1928年(昭和3年)に結婚し、二男二女をもうけた[5]。1942年(昭和17年)に東京都世田谷区に移住した[5]。
1950年代頃より、世田谷の自宅を訪れる野鳥を寄せ親しみ、主婦としての家事の合間を縫って観察を続けた[6][7]。1955年(昭和30年)に日本野鳥の会に入会した[8]。1958年(昭和33年)頃より、子供のカメラを用いて写真撮影を始め、後に自分のカメラを調達して、ツグミ、オナガ、キジバトなどの撮影を続けた[7]。
1962年(昭和37年)に日本鳥類保護連盟より、野鳥の愛護に対して褒状を受けた[5]。同1962年、日本鳥類保護連盟、日本自然保護協会に入会した[5]。歌人としては旧姓の「梅村敏子」の筆名でアララギ短歌会に所属し[9]、短歌雑誌『アララギ』に短歌を寄稿した[1]。
写真集および歌集として、1962年(昭和37年)に『庭にくる鳥 - 佐伯敏子写真集』を刊行し、1966年(昭和41年)に第2集、1976年(昭和51年)には第3集を刊行した[8]。
脚注
編集- ^ a b c d 佐伯敏子『庭に来る鳥 佐伯敏子写真集』佐伯古文研究所、1962年4月15日、64頁。 NCID BA86651447。
- ^ a b 佐伯敏子他『庭にくる鳥』小峰書店〈自然科学シリーズ〉、1975年11月15日、84頁。 NCID BN11193896。
- ^ 佐伯敏子『庭に来る鳥 III』佐伯古文研究所、1976年5月6日、85頁。 NCID BN0420259X。
- ^ 「アララギ」第77巻第12号、1984年12月1日、167頁。
- ^ a b c d e f g 佐伯 1976, 奥付
- ^ 佐伯他 1975, p. 84.
- ^ a b 佐伯敏子「東京の自宅で野鳥を撮る」『自然と文化』第4号、日本ナショナルトラスト、1971年1月1日、46-47頁、NCID AN10050793。
- ^ a b 『年刊人物情報事典 '83』 3巻、日外アソシエーツ、1983年7月20日、237頁。ISBN 978-4-8169-0262-8。
- ^ 佐伯 1962, 奥付