美人
概要
編集類義語として、美女(びじょ)、別嬪(べっぴん)・麗人(れいじん)・佳人(かじん)等がある。
男性に対して用いられることもあり、江戸時代の井原西鶴の浮世草子『世間胸算用』では、容姿の美しい男子を指して使われている[1]。
美人像
編集欧米
編集研究者のリサ・ウェイドは、肌の白さを美の基準として用いることは白人至上主義の現れの一つであり、肌が白くない非白人が美しいとされるのは、その容貌が白人のようである場合であると述べている[3]。世界最大のファッションイベントの一つであるニューヨーク·ファッションウィークの2014年のレポートによると、参加モデルの内訳は、白人82.7%、アジア系9%、黒人6%、ラテン系2%であり、白人モデルが圧倒的多数を占めている[4]。
日本
編集日本の平安時代には、肌理(きめ)の細かい色白の肌、ふっくらした頬、長くしなやかな黒髪が典型的な美人の条件として尊ばれた。ただし、一定以上の身分のある女性は近親者以外の男性に顔を見せないものとされたため、男性はめあての女性の寝所に忍んで行き、ほの暗い灯火の下で初めてその姿を見るということが普通であった。化粧は、顔に白粉を塗り、眉を除去して墨で描き(引眉)、歯を黒く染める(お歯黒)といったもので、健康美よりはむしろ妖艶さが強調された。当時の女性の成年年齢は初潮を迎える12~14歳であり、30代はすでに盛りを過ぎた年齢とみなされていた。ちなみに、しばしば言及される引目鉤鼻は源氏物語絵巻等の平安絵画において高貴な人物を描く際に用いられた表現技法の名称である。六歌仙の一人である女流歌人小野小町は、当時の美人像からして絶世の美女であったとされている。
戦国時代に日本に30年以上滞在した西洋人ルイス・フロイスは「ヨーロッパ人は大きな目を美しいとしている。日本人はそれを恐ろしいものと考え、涙の出る部分の閉じているのを美しいとしている。」[5]と、当時の日本人が大きな目よりも絵巻物や美人画に描かれるような涼しい目を理想としていた様子を記している。
江戸時代には、日本では色白できめ細かい肌、細面、小ぶりな口、富士額、涼しい目元、鼻筋が通り、豊かな黒髪が美人の典型とされた(浮世絵で見られる女性は、当時の理想的な美人を様式化した作品である。詳しくは美人画を参照)。当時最も売れた化粧指南書『都風俗化粧伝』において「目の大なるをほそく見する伝」という項が存在し、目に関しては現在とは異なる美意識だったことを表している。井原西鶴の『好色五人女』には、低い鼻を高くしてほしいと神社で無理な願いことをする、との記述があり[6]、当時鼻の高さを好んだ傾向が窺える。こうした美意識は、明治時代から大正時代に至るまで美人像の基調となった。
比喩表現
編集日本
編集日本では木花咲耶姫になぞらえて、正真正銘の美人を比喩する際に花が多く用いられる。たとえば、日本の美しくしたたかな女性たちを撫子の花に見立てて大和撫子と称する他、古来より和歌などのさまざまな場面で「花の比喩」が登場する。[要出典]
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに―小野小町
これは日本の文化(大和民族の文化)における伝統的美意識による発想である。[要出典] たとえば金田一京助は、アイヌの人に「お前、桜の花きれいだと思わないか」と訊いたところ「きれいだ」と答えたので、「じゃ美人のときに、花のようだと言ったら」と重ねて問うと、「だって全然違うじゃないか。花はこんな形をしているし、顔とは全然違う」と笑われたと記している[7]。
日本における何々美人
編集大正生まれの建築家の吉阪隆正は、何々美人と呼ばれる場所はほとんどが日本海側であり、また各地を旅行をしていて、その地域が栄えていることと女性が美しい事には相関関係があると感じるが、日本列島は江戸幕府が開かれるまで何百年に渡り交易・交通の中心であった日本海側が栄えていたためであろうと述べている[8]。
歴史上の有名な美人
編集容姿の美の理論
編集比率説
編集カナダのトロント大学のカン・リー(Kang Lee)が視覚研究の専門誌「Vision Research」で白人女性のみを対象にした研究結果を発表した。そこで女性の見た目の美しさは両目の間隔や目鼻と口の距離が顔全体に占める割合によって決まるという研究結果が発表されている。その研究結果は目と口の距離は顔の長さの36%のときに一番美しいと感じられ、両目の間隔は顔の幅の46%のときに一番美しいと感じられることが分かった[9]。
平均説
編集Judith LangloisとLori Roggmanは、無作為に抽出した顔写真の合成写真を被験者に示した時に、その写真が魅力的であると判断されることが多いとする研究結果を発表した(Psychological Science 1990)。この事から、美人とはそのコミュニティにおいて最も平均的な容姿を持つものであるという仮説が提唱された。この説によると、美人像の変遷は、そのコミュニティの構成員の変化を背景としているものと考えられる(鼻が高い人が多くなれば、鼻が高いことが美人の要素となる)。このように平均的な女性が美しいと感じられる理由としては、平均的であるということが、当該コミュニティで失敗のない生殖を行う可能性が高いことを示している(繁殖実績が多い)と考えられるためと説明されている。
出典
編集- ^ a b “美人”. デジタル大辞泉(小学館). 2024年11月25日閲覧。
- ^ “美人 (読み)びじん”. コトバンク. 2023年10月11日閲覧。
- ^ When Whiteness is the Standard of Beauty The Society Pages (TSP)
- ^ The Fashion Industry's Racism Harms Everyone
- ^ ヨーロッパ文化と日本文化 (岩波文庫)ルイス・フロイス (著), 岡田 章雄 (訳注)ISBN 978 4003345917
- ^ 井原西鶴 『好色五人女』 岩波書店、1927年、13頁。
- ^ 金田一春彦と團伊玖磨の対談「別れのことば『思うわよォ』」〜「週刊読売」1972年12月16日号[要ページ番号]
- ^ 吉阪隆生(1970)、「(5) 雪国の都市と建築について」『雪氷』 1970年 32巻 4-5号 p.110-114, doi:10.5331/seppyo.32.110
- ^ Pamela M Pallett, Stephen Link, Kang Lee New “Golden” Ratios for Facial Beauty Vision Res. 2009 Nov 6;50(2):149. doi: 10.1016/j.visres.2009.11.003
参考文献
編集- 井上章一『美人論』 朝日新聞社<朝日文芸文庫>、1995年。ISBN 4022640952
- 井上章一『美人コンテスト百年史-―芸妓の時代から美少女まで』 朝日新聞社<朝日文芸文庫>、1997年。ISBN 4022641452
- 山本桂子『お化粧しないは不良のはじまり』講談社、2006年。 ISBN 4-06-213311-3