僧房
概要
編集古代日本の寺院伽藍の構造においては全体の北側の区域に講堂を南側として、
大寺院の場合には長さ200から300尺梁行(奥行)40尺前後の大房と中庭を挟んで対となって建てられた梁行10余尺(長さは対となる大房とほぼ同じ)
だが、平安時代に台頭した天台宗や真言宗では巨大な僧房は設置されず、既存の宗派(南都六宗)でも私僧房である子院を建てる高僧が登場した。また、僧房でも高僧が1人で房を独占したり、仏堂や御影堂に改装されるようになり、鎌倉時代から室町時代にかけて本来の機能を喪失していった。ただし、近世の禅宗檀林に併設された学寮の中には古来の僧房の伝統を継承した施設もあった。
なお、私僧房には○○房(○○坊)という個別の名(房号、坊号)がつけられるようになり、大寺院に付属する子院や塔頭の名となるようになった(京都寂光寺の本因坊など)。一方で、私僧房は寺院における寺務所、住僧の住まい(庫裏)となり、大寺院の僧房でその寺の寺務を取り仕切る僧房は
遺例
編集参考文献
編集- 太田博太郎「僧房」『国史大辞典 8』(吉川弘文館 1987年) ISBN 978-4-642-00508-1
- 中井真孝「僧房」『日本史大事典 4』(平凡社 1993年) ISBN 978-4-582-13104-8
- 今堀太逸「僧房」『平安時代史事典』(角川書店 1994年) ISBN 978-4-040-31700-7
- 光井渉「僧房」『日本歴史大事典 2』(小学館 2000年) ISBN 978-4-09-523002-3