内之浦町

日本の鹿児島県肝属郡にあった町

内之浦町(うちのうらちょう)は、鹿児島県本土の東南部、大隅半島の東部にあったである。2005年7月1日高山町と合併し肝付町となった。

うちのうらちょう
内之浦町
内之浦宇宙空間観測所
内之浦町旗 内之浦町章
廃止日 2005年7月1日
廃止理由 新設合併
高山町内之浦町肝付町
現在の自治体 肝付町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 鹿児島県
肝属郡
市町村コード 46483-0
面積 179.36 km2
総人口 4,577
(2003年10月1日)
隣接自治体 高山町、錦江町南大隅町
町の木 クスノキ
町の花 カンナハマユウ
他のシンボル -
内之浦町役場
所在地 893-1492
鹿児島県肝属郡内之浦町南方2643番地
内之浦町役場(現:肝付町役場内之浦総合支所)
内之浦町役場(現:肝付町役場内之浦総合支所)
外部リンク 内之浦町ホームページ - ウェイバックマシン
座標 北緯31度16分42秒 東経131度04分27秒 / 北緯31.27839度 東経131.07425度 / 31.27839; 131.07425座標: 北緯31度16分42秒 東経131度04分27秒 / 北緯31.27839度 東経131.07425度 / 31.27839; 131.07425
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日本国内に2か所あるロケット打ち上げ基地のひとつ、内之浦宇宙空間観測所の所在地。日本初の人工衛星おおすみ」や探査機「はやぶさ」が内之浦から発射された。

地理

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内之浦湾
 
甫与志岳(肝属山地)

町域の大半は肝属山地(国見山系)であり、東岸に内之浦湾が広がる。岸良湾は海図に小山田湾と書かれている。

岸良小山田で鹿児島埋蔵文化財になっている弥生時代(前)の弥生土器・石器の破片が発見されている。

隣接自治体

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北-西方向に高山町、西方向に大根占町田代町錦江町)、南西方向に佐多町南大隅町)が隣接していた。大根占町とは肝属山地で接しており、通行可能な道路が存在しない。

歴史

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大隅国設置時から高山とともに肝属郡に属す。中世は肝付氏一派の内之浦氏・岸良氏の、江戸時代は島津氏の支配を受けた。

  • 1357年 - 島津氏が岸良村を比志島氏(小山田氏)に与える。
  • 1357年 - 肝付兼氏小串村を志布志大慈寺に寄進する。
  • 1407年 - 肝付兼元が平田神社を修造する。
  • 1505年 - 高谷神社炎上し神宝その他が焼ける。
  • 1539年 - 肝付兼続が高谷神社を再興した。
  • 1566年 - 肝付兼続島津氏に逐われ内之浦より志布志に至り自刃する。
  • 1574年 - 肝付氏が島津氏に敗北。
  • 1576年 - 都城領の飛地として、北郷氏の支配下となる(1595-1600年は伊集院忠棟が支配)。
  • 1589年 - 船が内之浦に渡来。
  • 1631年 - 内之浦は高山外城に統合される。
  • 1640年 - 高山外城から内之浦外城が分立(後に内之浦郷と改称)。
  • 1810年 - 伊能忠敬らが内之浦の測量を実施。
  • 1872年 - 内之浦小学校の前身となる欽明館が開校。
  • 1889年 - 町村制実施に伴い、内之浦郷内の北方村・南方村・岸良村が合併し内之浦村が発足。
  • 1898年 - 高山村波見 - 内之浦の県道(現国道448号)が開通。
  • 1932年 - 内之浦村が町制施行、内之浦町となる。
  • 1938年10月15日 - 肝属地方風水害。死者・行方不明者36人以上、流失家屋約130戸[1]
  • 1945年 - アメリカ軍による空襲被害を受ける。
  • 1967年2月2日 - 鹿児島スペースセンター(現内之浦宇宙空間観測所)が完成。
  • 1970年2月11日 - 日本初の人工衛星「おおすみ」を発射。
  • 1995年 - 内之浦町役場(現在の肝付町役場内之浦総合支所)が完成。
 
高山・鹿屋方面へのアクセス路となる国見トンネル(県道561号)
  • 2002年12月18日 - 国見山系を貫く国見トンネルが開通。
  • 2005年7月1日 - 高山町と合併、肝付町の一部となる。

姉妹都市・提携都市

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国内

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地域

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内之浦小学校
 
船間小学校・中学校跡

教育

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合併時には2の小学校・中学校が存在した。

  • 内之浦小学校
  • 岸良小学校
  • 内之浦中学校
  • 岸良中学校

その他存在した小中学校は以下の通りである。

  • 津代小学校 - 1902年に分校として創立、1929年に一度廃校した後、1950年に再度独立、1973年閉校
  • 小串小学校 - 1921年に分校として創立、1951年に独立、1970年に内之浦小学校へ統合
  • 大浦小学校 - 1954年に船間小学校の分校から独立、1990年休校、肝付町発足後の2011年9月廃校[2]
  • 船間小学校 - 1994年廃校
  • 大浦中学校 - 1947年に岸良中学校の分校として創立、1954年に独立、1990年休校、肝付町発足後の2011年9月廃校[2]
  • 船間中学校 - 1947年に岸良中学校の分校として創立、1954年に独立、1981年廃校
  • 宮原分校 - 1909年に分校として創立、1970年に内之浦小学校へ統合
  • 国見分校 - 1941年開校、1955年閉校

交通

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空港

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町内に空港は無い。最寄り空港は宮崎空港または鹿児島空港

鉄道

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町内を鉄道路線は通っていない。最寄り鉄道駅は九州旅客鉄道(JR九州)志布志駅

道路

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町役場前を通る国道448号

国道448号が町内を通り、かつては町中心部からは高山方面へ向かう唯一の路線であった。2002年12月に国見トンネル(県道561号)が開通したことで高山・鹿屋方面への所要時間が大幅に短縮された。

県道
  • 鹿児島県道74号内之浦佐多線 - 岸良地区から南大隅町佐多へ向かう路線。海岸線に沿う。大半が未整備状態。
  • 鹿児島県道542号岸良高山線 - 名称通り岸良地区から高山へ向かう路線。山越え。
  • 鹿児島県道561号神之川内之浦線 - 国見トンネルが通る。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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ドヤドヤサー(鬼火焚き)
  • ドヤドヤサー(1月7日)
  • ロケット祭り(8月中旬)
  • 銀河マラソン(11月第4日曜日)

教育・研究施設

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出身有名人

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その他

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ソテツの本土最南端自生区域。

脚注

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  1. ^ 予想外の惨状、三小学校も倒壊『大阪毎日新聞』(昭和13年10月16日)『昭和ニュース辞典第6巻 昭和12年-昭和13年』p217 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  2. ^ a b 『南日本新聞』2011年10月2日10面など。肝付町の公式ウェブサイトでは未公表。

参考文献

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  • 『角川日本地名大辞典46 鹿児島県』角川書店、1983年。
  • 肝付町教育委員会『肝付町の文化財』2007年。

関連項目

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  NODES