出石そば
概要
編集江戸時代中期の宝永3年(1706年)、信濃国上田藩より但馬国出石藩に国替えとなった仙石政明が、蕎麦(信州そば)職人を連れてきたことが始まりとされる。現在は割り子そばの形態をとっており、この形式となったのは幕末の頃で、屋台で供される際に持ち運びが便利な手塩皿(てしょうざら)に蕎麦を盛って提供したことに始まるとされる。昭和30年代(1955年-1964年)に「出石皿そば」として現在見られる形態が確立された[1]。
[1]店舗では通常、一人前5皿で供される。1皿に盛られた蕎麦の量は2〜3口程度であり、1皿単位での追加注文も可能な店が多い。蕎麦は実を丸引きしており、色は茶褐色である。徳利に入ったダシと、薬味として刻みネギ・おろし大根・おろしワサビ・トロロ・生鶏卵1個などが出される。ワサビは、おろさずに出てきて客が自分でおろすようになっている場合もある。蕎麦猪口にダシと薬味を好み分入れ蕎麦を浸して食する。以前は、出雲割り子そばのように皿に直接ダシと薬味をかけて食していたという。「挽きたて」「打ちたて」「茹がきたて」の“三たて”が、伝統的な信条とされている[要出典]。
特色
編集但馬の小京都と言われる出石の街には、50軒もの蕎麦屋がある。なお、イベントとして毎年4月第3日曜日にわんこそば形式の大食い大会「出石名物そば喰い大会」が出石城で開催される[4][5]。
お店では、一人前が5皿であるが、地元では食べたお皿を重ねて箸の高さになると成人男性の一人前であると言われている[6]。決められた量のそばを食べると、そば通の証などの記念品がもらえるお店もある。
2008年に出石皿そば協同組合が設立され、地域ブランド化を図る為に行政と連携して地元産そばの地産地消を推進。「コウノトリの」をブランド化し、認定されたそば生産組織と連絡調整を行い、JAたじまへ出荷された豊岡市産の玄ソバを出石皿そば協同組合を通じて出石地区のそば店に供給している。この事業に参加するソバ生産法人は中谷農事組合法人、殿そば生産組合、府市場・池上営農組合、堀営農組合、観音寺営農組合、出石そば生産組合の6団体である。[7] 出石そば(いずしそば)は、2018年(平成30年)1月12日に商標登録された(商標登録第6010420号)[8]。
脚注
編集出典
編集- ^ “出石そばの歴史”. NPO法人但馬國出石観光協会. 2020年9月3日閲覧。
- ^ “出石焼”. KOGEI JAPAN. 2020年9月3日閲覧。
- ^ 出石町観光パンフレットより
- ^ “2019-桜まつりと「出石そば喰い大会」”. NPO法人但馬國出石観光協会. 2020年9月3日閲覧。
- ^ 桜も満開、声援も満開!~第41回出石そば喰い大会開催~(2014年6月5日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ “出石そばの歴史 | 但馬國出石観光協会公式サイト”. 2022年3月1日閲覧。
- ^ 『そばによる地域創生』鶴見治彦、2017年、199頁。
- ^ “商標登録第6010420号 出石そば(いずしそば)”. 特許庁. 2020年9月3日閲覧。
外部リンク
編集- そば達人古田さんが教える出石そば案内(出石まちづくり公社)
- 出石皿そば協同組合
- NPO法人但馬國出石観光協会
- 出石そばで「2009モンドセレクション」金賞・銀賞を受賞(2012年3月16日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- 出石そばの食べ方 - 出石皿そば花水木 - YouTube
- 自家製粉・職人の手打ちによる出石そばを提供するお店 - 左京