北千島臨時要塞(きたちしまりんじようさい)とは、千島列島幌筵島の防備のため設置された大日本帝国陸軍要塞である。当初は幌筵臨時要塞と呼称した。

概要

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1940年8月、幌筵島に臨時要塞を建設する命令が出された。同年9月に着工し、同年11月、建設工事が完了した。同年10月に北千島要塞司令部が設置され、北千島要塞砲兵2箇中隊が配備された。1941年7月10日には関東軍特種演習に伴い、北千島要塞歩兵隊(歩兵3個中隊基幹)の編成が下令され、7月26日に第7師団長管理下で完結し、9月6日に到着した。

太平洋戦争目前の1941年11月8日に本戦備が発令され、終戦まで活動を継続した。この間、アッツ島の防備のため、1942年10月に北千島要塞歩兵隊主力(第1・第3中隊、銃砲隊の速射砲小隊)と第6要塞山砲隊、要塞工兵1個小隊などが抽出され、高射砲1個中隊とともに米川浩中佐の指揮の下でアッツ島に進出した。北海守備隊アッツ地区隊を構成した米川部隊は、その後の増援部隊とともに北海守備隊第2地区隊長の山崎保代大佐の指揮下に入り、アッツ島の戦い玉砕した。

また、要塞砲兵隊は1943年に新設の千島第1守備隊に配属となり、最終的には第91師団に編合されて師団砲兵隊となった。うち重砲兵2個小隊は占守島の戦いでソ連軍と交戦した。なお、北千島には他の要塞部隊として、東京湾要塞下関要塞澎湖島要塞から各1個中隊が抽出されて、配備されている。

年譜

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兵備

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歴代司令官

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  • 小林俊一 中佐:1940年10月8日 -
  • 小林与喜三 大佐:1942年8月15日 -

参考文献

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  • 浄法寺朝美『日本築城史 : 近代の沿岸築城と要塞』原書房、1971年12月1日。NDLJP:12283210 
  • 歴史群像シリーズ『日本の要塞 - 忘れられた帝国の城塞』学習研究社、2003年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 篠崎達男「日本陸軍「沿岸要塞」の戦い」『丸別冊 忘れえぬ戦場』太平洋戦争証言シリーズ18号、潮書房、1991年。
  • 田藤博「砲兵連隊の戦歴」『日本陸軍機械化部隊総覧』別冊歴史読本16巻6号、新人物往来社、1991年。
  • 示村貞夫『旭川第七師団』復刻版、総北海、1984年。

関連項目

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