北白川宮
北白川宮(きたしらかわのみや)は、日本の皇室における宮家の一つ。ここでは、前身の聖護院宮(しょうごいんのみや)についても触れる。
北白川宮家 | |
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家祖 |
北白川宮智成親王 (伏見宮邦家親王の第13王子) |
種別 | 皇族(宮家) |
出身地 | 京都(山城国) |
主な根拠地 |
東京府東京市芝区高輪南 (現:東京5都港区高輪) |
著名な人物 |
智成親王 能久親王 成久王 成久王妃房子内親王 永久王 永久王妃祥子 |
支流、分家 |
竹田宮家 小松家(侯爵) 二荒家(伯爵) 上野家(伯爵) |
凡例 / Category:日本の氏族 |
概要
編集聖護院宮の創設は、1868年(慶応4年・明治元年)、伏見宮邦家親王の第2王子である嘉言親王が還俗し、名乗ったのに端を発する。由来は、親王が出家した聖護院。親王が薨去したのちは、弟の智成親王が宮号を継承したのち、北白川宮に改称。薨去後は兄の能久親王の直系に継承される。1947年(昭和22年)10月14日、5代・道久王の代で皇籍離脱。道久王に男子がいなかったことから、2018年(平成30年)10月20日、その逝去をもって断絶。
系図
編集邸宅
編集北白川宮邸は1884年(明治17年)に、紀尾井町にジョサイア・コンドルの設計で本格的な洋館として建てられた[1]。洋館は287坪のフレンチゴシックのレンガ造り2階建てで、和館に関しては記録がない[1]。この紀尾井町の邸の跡地は、1924年(大正13年)に朝鮮王朝の李王家(王公族)に与えられ、1930年(昭和5年)に宮内省内匠寮の設計でイギリス16世紀のチューダーゴシック様式の邸宅が新たに建てられた。戦後は西武グループ創始者の堤康次郎が購入し、赤坂プリンスホテル(現:ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町)となった[2]。同ホテル営業終了後、旧李王家邸の建物は南東側に44メートル曳家されて、位置を変えたうえで、結婚式場「赤坂プリンス クラシックハウス」として利用されている。1912年(明治45年/大正元年)には北白川宮成久王の成婚祝いとして、港区高輪に宮内省内匠寮木子幸三郎設計で新しい邸宅が建設された[1]。700坪の御所風の和館と200坪のレンガ造り2階建て洋館から成り、戦前までの皇族和風邸宅の中では最大規模であり、最良の質を誇った[1]。同邸宅も戦後、堤が購入し、高輪ゴルフセンターとなった後、1982年(昭和57年)に新高輪プリンスホテル(現:グランドプリンスホテル新高輪)が建てられた。洋館は新高輪プリンスホテル開業後も高輪プリンス会館として残っていたが、国際館パミールの建設にあたって取り壊された。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d 第3節 皇族邸宅と明治宮殿 a)皇族の系譜と邸宅の特徴『明治・大正昭和戦前期における和風大邸宅の変容と展開に関する史的研究 : 近代和風建築史確立のための基礎的研究』大川三雄、2000年、国立国会図書館
- ^ 李王家邸(赤坂プリンスホテル別館) JAPANESE MODERN ARCHITECTURE
外部リンク
編集ウィキメディア・コモンズには、北白川宮に関するカテゴリがあります。