倉科 遼(くらしな りょう、1950年6月23日[1] - )は、日本漫画原作者、元漫画家

くらしな りょう
倉科 遼
本名 大場 敬司
別名義 司 敬
生誕 (1950-06-23) 1950年6月23日(74歳)
日本の旗 日本栃木県那須郡黒磯町(現:那須塩原市
職業 漫画原作者、元漫画家
活動期間 1971年 -
ジャンル 青年漫画
公式サイト 倉科遼 website
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栃木県那須郡黒磯町(現:那須塩原市)出身。明治大学中退[2]水商売モノ(本人いわく「ネオン街モノ」)を得意としてネオン劇画の開祖とも言われる、この分野でのビッグネームである。以前は、司敬(つかさ けい)名義で劇画を執筆していた(「司敬」名義での漫画原作も存在する)。

漫画原作のほかに、本名の大場 敬司(おおば けいじ)名義で編集プロダクション「フリーハンド」及び「オフィスケイ」も経営しており、雑誌まるごと、もしくは一部を出版社から請け負っている。また、フリーハンドが中心となって自作品の舞台化も積極的に行っており、自身も製作総指揮などを務める[3]

経歴

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1971年、「司敬」名義で漫画家としてデビューする。青年誌を中心に活動し、幾多のヒット作を手がける(代表作として『野望の群れ』『会津おとこ賦』『武田みけん星』『昭和バンカラ派』『ダンシング・ファイター』などがある)。しかし、次第に漫画家として行き詰まりを感じるようになり断筆、「倉科遼」と改名し、心機一転、漫画原作者を専業として再起する。その始めの原作として和気一作と組んだ『悪女の鑑』シリーズが当たり、原作の道に入る[4]

原作作品の多くは女主人公のネオン劇画もので、代表作は『女帝シリーズ』、『嬢王』、『夜王』など。

作品

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倉科遼名義

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(五十音順)

司敬名義

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(五十音順)

アシスタント

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脚注

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  1. ^ 【イベントレポート】加速ビジネス塾スペシャルセミナー | 天職との出会い
  2. ^ 水商売を漫画にした67歳原作者の剛勇な人生「女帝」「嬢王」の倉科遼が持つ強烈な原体験 東洋経済
  3. ^ 【舞台 stage】”. 倉科遼 website. 2024年4月28日閲覧。
  4. ^ https://manganavi.jp/special/job/20070427/
  5. ^ “「夜王」の倉科遼がマンガ原作者として最後の仕事、実在の元ホストをモデルに新連載”. コミックナタリー (ナターシャ). (2022年5月27日). https://natalie.mu/comic/news/479210 2022年5月27日閲覧。 

外部リンク

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