嘉禄かろく旧字体嘉祿)は、日本元号の一つ。元仁の後、安貞の前。1225年から1227年までの期間を指す。この時代の天皇後堀河天皇鎌倉幕府将軍は藤原頼経執権北条泰時

改元

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出典

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博物志」の「承皇天嘉禄」より。

備考

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この改元について、『吾妻鏡』は疱瘡流行に伴う写経記事の翌日(元仁2年5月2日)条に改元の詔書が届いたことが記されていることから、通常は疱瘡によると解されている。

だが、改元直前に藤原定家安倍泰俊に語ったところによれば、事の発端は「元仁」改元を知った武家(鎌倉幕府)が「不快」の念を伝えてきたことがきっかけであったとされ(『明月記』嘉禄元年4月15日条)、実際に改元されると定家は「改元を行っても政治を改めなければ意味がない」と批判し、更に「嘉禄」が「軽(かろ)く」に通じると不満を示している(同4月20日・21条)[1]

嘉禄期におきた出来事

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元年
2年

死去

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元年

西暦との対照表

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※は小の月を示す。

嘉禄元年(乙酉 一月 二月 三月※ 四月 五月※ 六月 七月※ 八月 九月※ 十月 十一月※ 十二月
ユリウス暦 1225/2/9 3/11 4/10 5/9 6/8 7/7 8/6 9/4 10/4 11/2 12/2 12/31
嘉禄二年(丙戌 一月※ 二月 三月※ 四月 五月※ 六月 七月 八月※ 九月 十月※ 十一月 十二月※
ユリウス暦 1226/1/30 2/28 3/30 4/28 5/28 6/26 7/26 8/25 9/23 10/23 11/21 12/21
嘉禄三年(丁亥 一月 二月※ 三月 閏三月※ 四月 五月※ 六月 七月※ 八月 九月 十月※ 十一月 十二月※
ユリウス暦 1227/1/19 2/18 3/19 4/18 5/17 6/16 7/15 8/14 9/12 10/12 11/11 12/10 1228/1/9

脚注

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  1. ^ 北爪真佐夫「元号と武家」『札幌学院大学人文学会紀要』第68巻、札幌学院大学人文学会、2000年9月、1-32頁、CRID 1050859370519001728hdl:10742/00003574ISSN 0916-3166 
    《所収》北爪真佐夫『文士と御家人 : 中世国家と幕府の吏僚』青史出版、2002年。ISBN 978-4-921145-13-2国立国会図書館書誌ID:000003067831 

関連項目

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