大伴子虫

奈良時代の官人

大伴 子虫(おおとも の こむし)は、奈良時代官人官位従八位下左兵庫少属

 
大伴 子虫
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
官位 従八位下左兵庫少属
主君 聖武天皇
氏族 大伴氏
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経歴

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当初、子虫は長屋王に仕えてその厚遇を受けていたが、神亀6年(729年)に発生した長屋王の変にて、中臣宮処東人からの誣告を受け、長屋王は自殺させられた。

天平10年(738年)子虫が左兵庫少属を務めていた際に、たまたま隣にある右兵庫寮長官(右兵庫頭)の任にあった中臣宮処東人と政務の合間に囲碁に興じていたが、話題が長屋王に及ぶにあたり、子虫は憤りを発して東人を罵り始め、遂には抜刀して斬殺してしまった[1]

脚注

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  1. ^ 『続日本紀』天平10年7月10日条

参考文献

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  • 宇治谷孟『続日本紀 (上)』講談社学術文庫、1995年
  • 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年

登場する小説

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