大木戸

街道上の江戸内外の境界に設置された簡易な関所

大木戸(おおきど)は、近世の日本の都市の出入り口や国境に設けられた関門、人や物の出入りを管理するための簡易な関所であり、木戸の中で規模が大きなものである。

各地の都市に入る街道筋に大木戸が設けられた。

江戸の大木戸

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高輪大木戸。歌川広重『東都司馬八景 高輪帰帆』

江戸では、1616年元和2年)、甲州街道筋(現:新宿区四谷4丁目 )に四谷大木戸が設けられた。

東海道筋には、同年に芝口門が設けられたが、1710年宝永7年)に高輪(現:港区高輪2丁目 )に移転し、高輪大木戸となった。

中山道筋では板橋宿上宿の岩の坂上(現:板橋区本町)に板橋大木戸が設けられた[1]


四谷大木戸・板橋大木戸は現存しないが、高輪大木戸の東側の石垣は史跡として保存されている。

名古屋の大木戸

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橘町の大木戸。『尾張名所図会

名古屋へ入る街道筋に設けられた大木戸の場所は次のとおり。[2][3]

これは樽屋町の西の端、押切村内、巾下白壁町はばしたしらかべちょうが南下して樽屋町に出会う角にあった(『尾府全図』『金鱗九十九之塵』より)。美濃路枇杷島(現・愛知県一宮市)、墨俣大垣(現・岐阜県)を経て中山道垂井宿(現・岐阜県不破郡垂井町)へ通じる。樽屋町には大木戸という地名があった(現在の西区押切町・花の木一丁目)[4]

名古屋の大木戸は『古渡村絵図』『享元絵巻』『尾張名所図会』『絵本上雲雀』などに描かれている。[2]

名古屋の大木戸は1872年(明治5年)に取り壊された。

脚注

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