大浦政信
大浦 政信(おおうら まさのぶ)は、戦国時代の武将。大浦光信の子または孫[1]。
大浦政信像 | |
時代 | 戦国時代 |
生誕 | 明応6年(1497年) |
死没 | 天文10年6月9日(1541年7月2日) |
氏族 | 大浦氏 |
父母 | 父:大浦光信(祖父とも) |
子 | 為則、守信 |
略歴
編集天文10年(1541年)、三味線河原の戦いで和徳城を攻め城主・小山内満春を討ち取るも、満春の子・永春が加勢し盛り返されて、大浦方は敗れて政信は家臣・森岡為治と共に討ち取られた。
なお津軽家の公称系図では、政信が摂関家近衛尚通と大浦光信の長女・阿久の間にできた子とし、以来本姓が源氏(清和源氏)から藤原氏に変わったとされる。
脚注
編集参考文献
編集- 『弘前市史・通史編2』弘前市、2002年6月28日。