大麻山神社
島根県浜田市の神社
大麻山神社(おおあさやまじんじゃ、たいまさんじんじゃ)は島根県浜田市三隅町の神社。式内社で旧社格は郷社。
大麻山神社 | |
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所在地 | 島根県浜田市三隅町室谷1097 |
位置 | 北緯34度49分12.3秒 東経132度0分37.8秒 / 北緯34.820083度 東経132.010500度座標: 北緯34度49分12.3秒 東経132度0分37.8秒 / 北緯34.820083度 東経132.010500度 |
主祭神 | 天日鷲命 |
社格等 | 式内社(小)・郷社 |
地図 |
神宮寺として尊勝寺があり、西の高野山と呼ばれていたが、天保七年(1836)、長雨による地すべりのため、尊勝寺、大麻山神社ともに倒壊した。さらに、明治五年(1872)の浜田地震で被災し、廃仏毀釈の時代であったことも影響して尊勝寺は再建されることなく廃寺となった。
祭神
編集祭神は天日鷲命・猿田彦命・大麻彦命(太玉命)。蔵王権現・熊野権現・走湯権現・山王権現・白山権現を配祀し五社権現と呼ばれるようになった。
歴史
編集大麻山は双子山と呼んでいた。仁和四年(888)御神託により大麻山と改め朝廷に奏聞した。寛平元年(889)阿波国(徳島県)板野郡大麻山鎮座の大神を勧請し、宇多天皇の勅許により社殿を建立した。
伝説
編集阿波国から大麻比古命に率いられて忌部族が移住してきた。大麻比古命は海を馬で渡り、山を舟で行った。大麻山に入った大麻比古命は周辺の小野の原に住んでいた小野族めがけ岩を投げつけて追い払った。須佐の高山まで逃げた小野族は反撃して岩を投げたが大麻山の麓までしか届かなかった。やがて仲裁に立つ者が現れて小野族は小野に戻り、忌部族は大麻山を領分とすることで話が決着した。[1]
『島根縣史』では「太古井野村と大麻村とに戰ひが始まつて天馬が馳せ廻つた其の跡が印しつけられた石といふのが大麻山の中腹に今でも残って居る」とある。
参考文献
編集- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十一巻 山陰道4』皇学館大学出版部、1983
- 谷川健一編『日本の神々―神社と聖地 第七巻 山陰』白水社、 1985年
- 寺井実郎編『三隅地方の神話と伝説』三隅時報社、1960
- 酒井董美、萩坂昇『出雲・石見の伝説 日本の伝説48』角川書店、1980
- 島根県史編纂掛編『島根縣史 第2巻(国造政治時代)』名著出版、1972
- 三隅町誌編さん委員会『三隅町誌』1971
補注
編集- ^ 「次の『三隅地方の神話と伝説』(三隅時報社/編)に掲げられている『大麻山と高山の合戦』という一文は著者の故寺井実郎氏が史実を系統づけ乍ら実地踏査をして書いたものであって、神話をうまく歴史に織りこんで書かれているので、故人の冥福を祈りつつここに掲載することにする」と三隅町誌にある。