天竺五精舎
天竺五精舎(てんじくごしょうじゃ)とは、古代インドにあった初期仏教の5つの精舎(伽藍・寺院)をいう[1][2]。天竺五山(てんじくごさん、ござん)ともいう[1]。
大蔵法数
編集大蔵法数には以下五精舎が挙げられているが[1][4]、その根拠は分かっていない[5]。
【五精舎】 釋迦譜云息心所栖故曰精舍行者精棟之所也
- 一 給孤独 ...
祗陀 太子ノ國ヲ買テ途ヲ給孤獨園ト名因テ精舍ヲ建テ奉ル- 二 鷲嶺山 ... 山ノ名ナリ其ノ山ノ形於
鷲鳥 ニ似ル ... 佛此ニ居リ而 モ説法シエフ也- 三 獼猴江 ...
彌猴 嘗テ此ノ江ニ於テ林浴スル ... 佛會此ニ於テ説法シ翻譯名義ヲ網猴池ト云ク- 四 菴羅樹園 ... 女人守護ス故ニ言フ
菴羅樹 園 ... 懂喜シ園ヲ以テ佛ニ奉ル佛即チ之ヲ受玉ヒ中ニ於テ精舍ヲ建立- 五 竹林精舎 ... 大智度論ニ云ク竹林精舎ハ
著閣崛山 ノ中ニ在 ... 佛曾シ中ニ於テ説法シエフ故
- 祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)
- 正式名は祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎつこどくおんしょうじゃ)。身寄りのない者に施しをしていたスダッタ(須達多)長者が、ジェータ(祇陀)太子が所有する森を譲り受けて、コーサラ国の舎衛城近郊に建立した精舎。現在のサヘート遺跡とされる。
- 鷲嶺精舎(じゅれいしょうじゃ)
- マガダ国の王舎城(ラージャガハ)の霊鷲山(グリドラクータ)にあった精舎。霊鷲精舎(りょうじゅしょうじゃ)とも。
- 獼猴江精舎(みこうこうしょうじゃ)
- ヴェーサーリー(毘舎離)の獼(彌)猴池(みこうち、彌猴とは大きな猿で、その池にたくさんいた)の附近の大森林中にあった講堂、また説法の時に使用していた精舎。
- 菴羅樹園精舎(あんらじゅおんしょうじゃ)
- 中インド、ヴェーサリー(毘舎離)のアンバパーリー(漢訳:菴摩羅女=あんまらにょ、マンゴーのこと)が所有していた、マンゴー樹園を寄進して建てられた精舎。
- 竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)
- 仏教で最初に建立された精舎といわれる。中インド、マガダ国の首都、王舎城(ラージャガハ)にあった。カランダ(迦蘭陀)長者の所有する林園で最初はジャイナ教に貸与していたが、カランダ長者が釈迦仏に帰依してからは仏教徒の僧園となった。ビンビサーラ(頻婆娑羅)王の寄進で伽藍が完成した。
大智度論
編集大智度論第3巻では、五山として以下の場所を挙げる[5][7]。
- 鞞婆羅跋恕 (Vaibhāra-vana)
- 薩多般那求呵(Saptaparṇaguhā、南山石室)
- 因陀羅勢羅求呵 (Indraśailaguhā、帝釈窟)
- 薩簸恕魂直迦鉢婆羅 (Sarpiṣkuṇḍikā-prāgbhāra)
- 耆闍崛 (Gṛdhrakūta)
二城中多住王舍城。復次以坐禪精舍多故。餘處無有。如竹園鞞婆羅跋恕薩多般那求呵因陀世羅求阿薩簸恕魂直迦鉢婆羅。王舍城。有五精舍。竹園在平地。
餘國無此多精舍。舍婆提一處。祇洹精舍更有一處。摩伽羅母堂更無第三處。婆羅奈斯國一處。鹿林中精舍名梨師槃陀那。毘耶離二處。一名摩呵槃。二名彌猴池岸精舍。鳩睒彌一處。名劬師羅園。如是諸國。或一處有精舍。或空樹林。以王舍城多精舍坐禪人所宜其處安隱故多住此。二城中には多く
王舍城 に住す。復次に坐禪精舍多きを以ての故に、餘處 には竹園、鞞婆羅跋恕、薩多般那求呵、因陀世羅求呵、薩簸恕魂直迦鉢婆羅の如きものあることなし。王舍城に五精舍あり、竹園は平地に在り。
餘國には此の多くの精舍なし。舍婆提 には一處、祇洹精舍なり。更に一處あり、摩伽羅母堂なり。更に第三處なし。波羅奈斯 國には一處、鹿林中精舍なり、梨師槃陀那と名づく。毗耶離 には二處、一を摩呵槃と名づけ、二を彌猴池岸精舍と名づく。鳩談彌には一處、劬師羅園と名づく。是の如く諸國には或は一處に精舍あり、或は空樹林あり。王舍城には多くの精舍あり、坐禪人の宜き所、其の處安隱なるを以ての故に多く此に住す。[8][5]
類聚名物考
編集【五山禪剎】 - 先佛出世之天竺五山者、祇園精舍、竹林五山、大林五山、誓多林寺、那蘭陋寺也。
ただし「誓多林」は「逝多林」とも書き、Jeta(ジェータ)太子が所有していた林園に建てられた祇園精舎のことをいい、これでは4つになってしまうので五精舎にはならない[5]。
その他
編集なお、五精舎あるいは五山の名称には差異があり、以下の5つをいう場合もある。
各地の五山
編集この天竺五精舎十塔所(また五山十刹)が、中国南宋の時代に模せられ、いわゆる支那五山・支那十刹ができた[10]。
脚注
編集- ^ a b c d 宇井伯寿 編『仏教辞』東成出版社、1953年、ゴショウジャ。doi:10.11501/2981104。
- ^ 『天竺五精舎』 - コトバンク
- ^ 藤井宣正『仏教辞林』明治書院、1912年、五山。doi:10.11501/969136。
- ^ 神保如天、安藤文英『禅学辞典』無我山房、1927年、天竺五山。doi:10.11501/1123656。
- ^ a b c d e 望月信亨 編『望月仏教大辞典』 第2巻 (コーシ)、世界聖典刊行協会、1955年、ゴジョウシャジュトウ。doi:10.11501/3019198。
- ^ 寂照 編『大蔵法数 : 一代経律論釈法数 上巻』鴻盟社、1899年、743頁。doi:10.11501/817960。
- ^ 織田得能『織田仏教大辞典』大蔵出版、1954年、天竺五山。doi:10.11501/3024948。
- ^ 望月信亨 編『仏教大辞典 : 5巻,別巻第三巻』仏教大辞典発行所、1933年、ジョウジャ。doi:10.11501/1913357。
- ^ 山岡俊明 編『類聚名物考』 6巻、近藤活版所、1904年、五山禪剎。doi:10.11501/1869577。
- ^ a b 宇井伯寿 編『仏教辞』東成出版社、1953年、ゴサン。doi:10.11501/2981104。