姫始め
概要
編集1月2日の行事であるが、由来は諸説あってはっきりしておらず、本来は何をする行事であったのかもわかっていない。正月に軟らかく炊いた飯(=姫飯〈ひめいい〉)を食べ始める日とも、「飛馬始め」で馬の乗り初めの日とも、「姫糊始め」の意で女が洗濯や洗い張りを始める日ともいわれる。現代一般には、その年になって初めて夫妻などが性交することと認識されている。
これはかつての仮名暦の正月の初めに「ひめはじめ」とあったのが、その解釈をめぐって多くの説が生じたものである。真名暦には「火水始」とあった。卜部家の秘説があるといわれた。
諸説
編集最も有力な説は、正月の強飯(こわいい。蒸した固い飯。別名「おこわ」)から、初めて姫飯(ひめいい。柔らかい飯)を食べる日というものである。昔は、祭の間には強飯を食べ、祭が終わると姫飯を食べていた。
『和名抄』(『和名類聚抄』)では「糄𥻨」をヒメと訓じ、「非レ米非レ粥之義」(レは返り点)と注されているから、飯のことであると解されている。上代の飯は強飯で(上述)、姫飯はより水分の多いやわらかなものであるが、一方で、粥はシルカユと訓むから、糄「米索」はそれよりも濃い粥であるという。一説に、「非レ米」の音でヒメという、という。『資益王記』[1]に、正月1日の諸社遙拝のあとに、次看経、次御コワ、次比目始とあるのが、すなわちこれであり、『春曙抄』に「飯の類なり、米は蓬莱台に始り、粥は七種に始まる。飯の始もまたあるべし、何ぞ馬乗始ありて飛馬始あらんや」といい、『東牖子』[2]に「いづれ暦の糄「米索」始は粥のくひはじめなるべし、元旦に雑煮を食し初めて、而して後にひめはじめあり」といい、後世の姫糊(ひめのり)にいうヒメも同じであるという。
また、藤原彦麿の随筆『傍廂[3]』(片ひさし)1巻[4]には、
「故師伊勢貞丈大人の云く、初春のひめはじめは、諸説まちまちなれど、皆とるに足らず、むかしより世俗のいひ来れる男女交合の始なり」
「親子兄弟の中にては、つつましさにさともえいはぬは、好色淫奔の心を恥づればなるべし、さる故に小ざかしき人は糄𥻨始なりといへり、和名抄に糄𥻨比女とあるは、衣につくる糊なり、誤りて食物と思へり、よしや常の飯にしても毎日くへば、何ぞ其始をいふべき、さればひめはじめは糄𥻨にも姫にも飛馬にもかかはる事にあらず」[5]
とある。その伊勢貞丈は『安斉随筆』で、姫はじめに関する後人の諸説は「みな出所なき推量なり」としているから、事実ははやくにすたれ、暦の上にのみ残ったものであるとされる。
その他諸説一覧
編集脚注
編集- ^ 資益王記 / 白川資益 撰:早稲田大学図書館古典籍総合データベース
- ^ 東牖子 - Google ブックス
- ^ 傍廂 巻之1-3 藤原彦麿 随筆:早稲田大学図書館古典籍総合データベース
- ^ 傍廂 1巻:早稲田大学図書館古典籍総合データベース
- ^ 該当記述:早稲田大学図書館古典籍総合データベース