宗道村
日本の茨城県結城郡にあった村
宗道村(そうどうむら)は茨城県結城郡に属していた村。現在の下妻市の南部にあたる。
そうどうむら 宗道村 | |
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廃止日 | 1955年1月1日 |
廃止理由 |
新設合併 宗道村、蚕飼村、大形村 → 千代川村 |
現在の自治体 | 下妻市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 茨城県 |
郡 | 結城郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 下妻市、石下町、蚕飼村、大形村 |
宗道村役場 | |
所在地 | 茨城県結城郡宗道村大字新宗道 |
座標 | 北緯36度09分58秒 東経139度57分28秒 / 北緯36.16608度 東経139.95783度座標: 北緯36度09分58秒 東経139度57分28秒 / 北緯36.16608度 東経139.95783度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集- 河川 : 鬼怒川
歴史
編集村名の由来
編集旧本宗道村、新宗道村が地域の中心地だったことによる。
年表
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、豊田郡宗道村が発足。
- 1913年(大正2年)11月1日 - 常総鉄道(現在の常総線)が開業。
- 1954年(昭和29年)10月1日 - 玉村の一部(羽子・原)を編入。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 蚕飼村、大形村と合併し千代川村が発足。同日宗道村廃止。
行政区域変遷
編集- 変遷の年表
宗道村村域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 旧宗道村域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行により、以下の町村がそれぞれ発足[1][2]。 |
1896年(明治29年) | 4月1日 | 豊田郡は岡田郡とともに結城郡に編入。 |
1954年(昭和29年) | 10月1日 | 宗道村は玉村の一部(羽子・原)を編入。 |
1955年(昭和30年) | 1月1日 | 宗道村は蚕飼村、大形村とともに合併し千代川村が発足。宗道村は消滅。 |
2006年(平成18年) | 1月1日 | 千代川村は下妻市に編入され、消滅。 |
- 変遷表
千代川村域の変遷表 | ||||||||
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1868年 以前 |
明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |||
豊田郡 | 田下村 | 宗道村 | 明治29年4月1日 結城郡に編入 |
宗道村 | 昭和30年1月1日 千代川村 |
平成18年1月1日 下妻市に編入 |
下妻市 | |
下栗村 | ||||||||
本宗道村 | ||||||||
新宗道村 | ||||||||
渋田村 | ||||||||
伊古立村 | ||||||||
長萱村 | ||||||||
唐崎村 | ||||||||
見田村 | ||||||||
羽子村 | 玉村の 一部 |
昭和29年10月1日 宗道村に編入 | ||||||
原村 |
大字
編集- 田下(たげ)
- 下栗(しもぐり)
- 本宗道(ほんそうどう)
- 新宗道(しんそうどう)
- 渋田(しぶだ)
- 伊古立(いごだつ)
- 長萱(おさがや)
- 唐崎(からさき)
- 見田(みた)
- 羽子(はねご)
- 原(はら)
村長
編集人口・世帯
編集人口
編集総数 [単位: 人]
1891年(明治24年) | 2,292 |
1920年(大正 9年) | 2,543 |
1935年(昭和10年) | 2,744 |
1950年(昭和25年) | 3,446 |
1953年(昭和28年) | 3,382 |
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世帯
編集総数 [単位: 世帯]
1920年(大正 9年) | 506 |
1935年(昭和10年) | 502 |
1950年(昭和25年) | 604 |
1953年(昭和28年) | 600 |
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