寒川町 (愛媛県)
日本の愛媛県宇摩郡にあった村
寒川町(さんがわちょう)は、愛媛県の東予地方の宇摩郡にあった町。1954年11月1日に三島町、松柏村、寒川町、豊岡村、富郷村、金砂村の2町4村の合併で市制施行し伊予三島市となり、自治体としては消滅した。その後、伊予三島市は平成の大合併で四国中央市となり、現在に至る。現在の四国中央市の西部。燧灘沿岸。
さんがわちょう 寒川町 | |
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廃止日 | 1954年11月1日 |
廃止理由 |
新設合併 三島町、松柏村、寒川町、豊岡村、富郷村、金砂村 → 伊予三島市 |
現在の自治体 | 四国中央市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 宇摩郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 三島町、富郷村、豊岡村(廃止時) |
寒川町役場 | |
所在地 | 愛媛県宇摩郡寒川町 |
座標 | 北緯33度57分57秒 東経133度31分01秒 / 北緯33.96578度 東経133.51692度座標: 北緯33度57分57秒 東経133度31分01秒 / 北緯33.96578度 東経133.51692度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集北を燧灘に、南は法皇山地の山々に接する。宇摩地域の中では最も山地が最も海に迫り、平地部は東西に細長い。
- 村名の由来
- 寒川という名は、大和国長谷郷に神川という地があり、長谷寺の試の観音が当地の海岸に流れ着き、神川としたが、寒川と記され、「さむかわ」と呼ばれるようになったという。古くは寒河とも書いた。
歴史
編集村の沿革
編集- 1875年(明治8年) - 東寒川(ひがしさんがわ)村及び西寒川(にしさんがわ)村が合併し、宇摩郡寒川村が発足する。
- 1889年(明治22年)12月15日 - 町村制施行に伴い、寒川村の区域をもって、宇摩郡寒川村(さんがわむら)が発足する。
- 1952年(昭和27年) - 寒川村が町制施行し、寒川町となる。
- 1954年(昭和29年)11月1日 -三島町、松柏村、寒川町、豊岡村、富郷村及び金砂村が合併し、伊予三島市が発足する。
寒川村・寒川町の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) (昭和の合併) (平成の合併) 町村制施行時 東寒川━━━━┓ え ┣━━━寒川村━━━━━━━━━寒川町━┓ 西寒川━━━━┛ ┃ あ い う お┃ 三島村━━三島町━┳━┳━━━━┫ ┃ ┃ ┣伊予三島市━┓ 中曽根村━━━━━┫ ┃ ┃ ┃ 中之庄━━━━━━┫ ┃ ┃ ┃ 松柏村━━━━━━┛ ┗松柏村━┫ ┃ 豊岡村━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ 富郷村━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ 金砂村━━━━━━━━━━━━━┛ ┃ ┃平成16年4月1日 ┃新設合併 ┣四国中央市 川之江市━━━━━━━━━┫ 新宮村━━━━━━━━━━┫ 土居町━━━━━━━━━━┛ あ – 明治31年11月21日 三島村が町制施行し、三島町になる。 い – 昭和19年4月1日 三島町、中曽根町、中之庄、松柏村が合併し三島町になる。 う – 昭和25年10月1日 三島町から松柏村が分立する。 え – 昭和27年6月1日 寒川村が町制施行し寒川町になる。 お – 昭和29年11月1日 三島町、松柏村、寒川町、豊岡村、富郷村、金砂村が合併し、市制施行し伊予三島市となる。 (注記)寒川村以外の合併以前の系譜はそれぞれの市町村の記事を参照。
地域
編集大字はなし。昭和の合併により伊予三島市となってからは伊予三島市寒川町、平成の合併により四国中央市になってからは四国中央市寒川町。
産業
編集農業。
製紙業が盛んで、漁港のあった関係で水産練製品製造業もあった。
交通
編集名所
編集- 新長谷寺