小川佳実
小川 佳実(おがわ よしみ、1959年6月23日 - )は静岡県出身の元サッカー審判員(国際主審)。アジアサッカー連盟 (AFC) 審判部長(レフェリーディレクター)、日本サッカー協会 (JFA) 審判委員長を歴任した。
個人情報 | |||
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誕生日 | 1959年6月23日(65歳) | ||
出身地 |
日本 静岡県 | ||
他職業 | 静岡県立高等学校教諭 | ||
国内 | |||
年 | リーグ | 役割 | |
1992-1997 | Jリーグ | 審判員 | |
国際 | |||
年 | リーグ | 役割 | |
1994-1997 | FIFA登録 | 審判員 |
来歴
編集静岡県立藤枝東高等学校を経て筑波大学体育専門学群に進学[1]。在学中は蹴球部でプレーし、帰郷後高校教諭を務める傍ら、教員チームでもプレーをした[2]。現役引退後審判としての活動を本格化させ、1994年のヤマザキナビスコカップでは決勝の主審も務めた[3]。
1997年3月に教員を辞め、翌月から日本サッカー協会 (JFA) の職員となり、審判部部長代理としてサッカー審判関係の取りまとめに従事[3](この時の業務負担の兼ね合いから1998年に審判員としての活動から退いている)。後にJFA審判部長となり、プロフェッショナルレフェリー制度の立ち上げに尽力した[3]。
2006年9月からアジアサッカー連盟 (AFC) に出向[3]。国際サッカー評議会 (IFAB) の諮問機関にAFC代表として参加しルール改定に携わった[1]ほか、「中東の笛」などと揶揄されることの多かったAFC加盟協会の国際審判員の質の向上に取り組み[3][4]、AFCレフェリーアカデミー[5]や若手審判員育成のためのフューチャープログラム[6]の立ち上げなどに尽力するなど、2015年までの9年間にわたって活動する。
帰国後の2016年に上川徹の後任としてJFA審判委員長に就任[2](公益財団法人日本プロサッカーリーグの非常勤理事にも就任[7])。年に2回程度だった審判委員会の記者会見(メディアブリーフィング)を定期的に行ったり、Jリーグでの実際のレフェリングを討議する配信番組『Jリーグジャッジリプレイ』をスタートさせるなど、審判の試合での判断を積極的にオープンにしていく活動に取り組む[8]。また、J1リーグにビデオ・アシスタント・レフェリー (VAR) の導入も推し進めた[9]。
2020年のJFAの役員交代を機にJFA審判委員長を退任した。
挿話
編集出典
編集- ^ a b “顧客満足度100%があり得ない”特殊な仕事”。サッカー審判員の知られざる世界”. テレ朝POST (2019年1月31日). 2021年9月28日閲覧。
- ^ a b “公益財団法人 日本サッカー協会 2016年度 第3回理事会 資料No.1-2 プロフィール” (PDF). 日本サッカー協会. p. 3 (2016年3月10日). 2021年9月28日閲覧。
- ^ 二宮寿朗 (2012年7月18日). “アジアに必要なレフェリーのレベルアップ”. 現代ビジネス. 2021年9月28日閲覧。
- ^ “AFC Referee Academy Intermediate Module I continue to boost Asia’s promising referees”. the-AFC.com (2018年11月14日). 2021年9月28日閲覧。
- ^ 石井紘人 (2019年5月27日). “無料:審判に必要な強さとは?「刺を削ぎ落として小さな丸にするのではなく刺と刺の間を経験で埋めて大きな丸を作りたい」小川佳実JFA審判委員長インタビュー中編”. 2021年9月28日閲覧。
- ^ 『理事選任の件』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2016年5月10日 。2021年9月28日閲覧。
- ^ 石井紘人 (2019年5月26日). “無料:Jリーグ担当審判員の1月からYBCルヴァン杯決勝までの舞台裏を追ったドキュメントDVD『審判』先行発売記念、小川佳実JFA審判委員長インタビュー【前編】”. 2021年9月28日閲覧。
- ^ “【VARを知ろう】小川佳実JFA審判委員長よりメッセージ”. 日本サッカー協会 (2020年2月19日). 2021年9月28日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- Yoshimi Ogawa - WorldRefelee.com