小林福太郎

日本の修理大工、建築家

小林 福太郎(こばやし ふくたろう、1882年明治15年)11月[1] - 1938年昭和13年)3月26日[1])は、日本の修理大工、建築家。社寺を中心に和風建築作品を多数設計した。

小林福太郎
『建築画報』浅草観音堂昭和大修理特輯號より
生誕 1882年11月
東京市神田区橋本町
死没 (1938-03-26) 1938年3月26日(55歳没)
東京都
国籍 日本の旗 日本
出身校 工手学校(現工学院大学)造家学科
職業 建築家
所属 内務省
小林建築設計事務所
建築物 足利織姫神社
など

経歴等

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東京出身[1]。工手学校(現工学院大学)を卒業[1]。もともとは内務省に奉職したのち、宮内省内匠寮に入り、特別保護建造物の修繕に従事[2]1913年大正2年)、御料車内部装飾設計を鉄道院から嘱託され両陛下御同乗車(皇室用客車 § 7号御料車)、賢所奉安御車(賢所乗御車)を担当する[3]

1919年(大正8年)、日光廟大修理工事の主任技師となる[2]

1925年(大正14年)には小林建築設計事務所を設立[2]。没後は息子の小林謙一が継ぎ、大物忌神社吹浦宮や浅草寺雷門などを設計している。

また平安神宮増築の際、本殿、社務所の改築計画案を作成するが実現はしなかった[2]明治神宮宝物殿競技設計で二等首席[4]

作品

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設計

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賢所御乗車
 
足利織姫神社
 
宗吾霊堂
 
華厳の滝エレベーター昇降場

著作等

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  • 『小林福太郎氏遺作集』建友会 編 (洪洋社, 1943)
  • 『北支満鮮随行日誌 図書』旭峯小林福太郎 著 (小林福太郎, 1928)
  • 日本住宅の手入と保存法 / 建築画報. 18(6) 、建築画報社, 1927年6月号。
  • 鐵筋コンクリート造の寺院建築に就て / 工業ト社会. 31(7) 国立国会図書館/図書館送信限定 雑誌 (東京工業会出版部, 1929年7月)
  • コンクリートの美――(長林寺建築) / 建築画報. 20(9)(245) 、建築画報社, 1929年9月号。
  • 江沼神社長流亭を觀る / 建築画報. 23(11)(283) 、建築画報社, 1932年11月号。
  • 下毛の古建築村檜神社本殿 / 建築画報. 18(3) 、建築画報社, 1927年3月号。

出典

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  1. ^ a b c d 上田ほか 2001, p. 782.
  2. ^ a b c d 鈴木ほか 2005, p. 422.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 建友会 1943.
  4. ^ 洪洋社 編『明治神宮宝物殿競技設計図集』洪洋社、1915年。全国書誌番号:43015272 
  5. ^ 小林福太郎「小西旅館別館の設計について」『建築画報』第15巻第1号、1924年、22頁、NDLJP:1504094/37 
  6. ^ 小林福太郎「再建の深川不動堂本堂」『建築画報』第20巻第2号、1929年、13-15頁、NDLJP:1504156/23 
  7. ^ 「彙報:皇典講究所國學院大學 構内神殿俊成」『國學院雑誌』第36巻第6号、1930年、70頁、NDLJP:3365072/40 
  8. ^ 小林福太郎「淺草觀音堂昭和大修理工事」『建築画報』第24巻第4号、1933年、6-27頁、NDLJP:1504206/36 
  9. ^ 小林福太郎「淺草寺觀音堂修理工事に就て」『土木建築工事画報』第9巻第4号、1933年、7-12頁、NDLJP:1489151/9 
  10. ^ 小林福太郎「野田神社改築能舞臺」『東洋建築』第1巻第1号、1937年、3-6頁、NDLJP:1488750/5 
  11. ^ 小林福太郎「野田神社改築能舞臺の設計に就いて」『東洋建築』第1巻第3号、1937年、[要ページ番号] 

参考文献

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  • 上田正昭ほか 監修『日本人名大辞典』講談社、2001年12月。ISBN 4-06-210800-3 
  • 建友会 編『小林福太郎氏遺作集』洪洋社、1943年。全国書誌番号:46017350 
  • 鈴木博之 監修 著、内匠寮の人と作品刊行委員会 編『皇室建築 内匠寮の人と作品』建築画報社、2005年12月。ISBN 4-901772-21-X 

関連文献

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  • 類洲環「小林福太郎 社寺建築に独自の道を切り開いた」『工手学校 日本の近代建築を支えた建築家の系譜 工学院大学』彰国社、2012年8月、64-73頁。ISBN 978-4-395-51104-4 
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