山口シヅエ
山口 シヅエ(やまぐち しづえ、1917年10月31日 - 2012年4月3日[1])は、日本の政治家。元日本社会党及び自由民主党衆議院議員(当選13回)[2]。明るく華やぎのある雰囲気から下町の太陽と呼ばれた[3]。本名静江[2]。
山口 シヅエ やまぐち しづえ | |
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1952年撮影 | |
生年月日 | 1917年10月31日 |
出生地 | 東京府 |
没年月日 | 2012年4月3日(94歳没) |
出身校 |
東京府立第七高等女学校 (現・東京都立小松川高等学校) |
所属政党 |
(日本社会党→) (右派社会党→) (日本社会党→) 自由民主党 |
称号 | 勲一等瑞宝章(1987年) |
親族 | 山口重彦(父・参議院議員) |
選挙区 |
(東京都第1区→) 東京都第6区 |
当選回数 | 13回 |
在任期間 |
1946年4月11日 - 1972年11月13日 1976年12月6日 - 1980年5月19日 |
来歴・人物
編集東京都中央区日本橋小伝馬町に、「山口自転車」を経営していた山口重彦(後に参議院議員)の長女として生まれる。1935年、東京府立第七高等女学校(現・東京都立小松川高等学校)を卒業後、家業に従事。従業員への食事を手配する「炊事部長」を務めていた。
弟を戦争で亡くしたことで、「戦争反対を訴えたい」と国政選挙立候補を決意。賀川豊彦の後押しも得て、1946年の第22回衆議院議員総選挙に東京都第1区から日本社会党公認で出馬し当選[4]。39名生まれた日本初の女性代議士の一人となる。売春防止法制定に尽力した。
1967年1月の第31回総選挙で党内派閥抗争のもつれから選挙違反を告発される。結局不起訴となったが、党に不信感を抱き同年5月に社会党を離党。無所属を経て、同年9月に自由民主党に入党して話題を呼んだ。自民党に入党すると福田赳夫の派閥に属した。その頃、福田が党幹事長だった関係で、幹事長室によく顔を出していたという。このとき事務局員との雑談で「自民党に入って驚いたのは、本部で朝8時にはいろんな会議が開かれ、議員が勉強していること。もっと国民に知ってもらうべきだ」と述べている[5]。
1969年の第32回総選挙に自民党公認で立候補し当選。この選挙で日本共産党新人の不破哲三が初当選し、社会党現職の佐野進は落選した。
1971年に社会党の戸叶里子が在職中に亡くなると「『初の女性代議士』最後の在職者」となった。1972年の第33回総選挙は次点で落選。
1976年の第34回総選挙で返り咲き、自民党唯一の女性代議士となった[6]。
1970年代後半には全日本女子格闘技連盟初代コミッショナーとして女子キックボクシング及びボクシングのタイトルを認定。経済企画政務次官などを務めた。
1980年、1983年の総選挙に続けて落選し政界を引退。通算当選13回。1980年には女性として世界で初めての国連平和賞を受賞、1987年には勲一等瑞宝章を受章。
2012年4月3日、腎不全のために死去[7]。94歳没。代表取締役を務める「山口シヅエガーデン」[8]が「故人の遺志により誕生日の10月31日まで公表を控える」としていた。
著作
編集- 『骨のある子に育てよう:日本食こそ健康食 お母さんは台所の薬剤師』山口ガーデン、1986年。
脚注
編集- ^ 「週刊朝日」 2012年11月2日号 20頁。
- ^ a b 山口シヅエさん死去(元衆院議員)時事ドットコム(2012年10月31日06:56配信記事(同年11月6日閲覧))[リンク切れ]
- ^ “女性初の衆院議員、山口シヅエさん死去”. MSN産経ニュース. (2012年10月31日). オリジナルの2012年11月12日時点におけるアーカイブ。 2022年9月11日閲覧。
- ^ アメリカ占領下の日本 第4巻 アメリカン・デモクラシー企画・制作:ウォークプロモーション NPO法人科学映像館
- ^ 奥島貞雄『自民党幹事長室の30年』中公文庫、2005年9月25日、44頁。
- ^ 1980年に山口が落選した後は、1993年に野田聖子と田中眞紀子(無所属で当選直後の追加公認)が当選するまで自民党には女性代議士が不在となった。
- ^ 山口シヅエさん死去 日本初の女性衆院議員 朝日新聞 2012年10月30日閲覧 Archived 2012年10月30日, at the Wayback Machine.
- ^ 同社は没した本人を代表取締役に再任した旨の登記をしていることが、株を譲渡されたという人物の告発により発覚した。故山口氏の会社、死後も役員再任 虚偽の登記で刑事告発へ 共同通信2013年4月4日
関連項目
編集外部リンク
編集議会 | ||
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先代 久野忠治 |
衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員長 | 次代 田村良平 |