岩倉久子
日本の明治時代の華族、岩倉具定の妻
岩倉 久子(いわくら ひさこ、1862年12月4日(文久2年10月13日[1]) - 1943年(昭和18年)8月30日)は、宮内大臣・岩倉具定の妻。民部大輔澤為量の四女。愛国婦人会会長(初代)。
人物
編集久子は公爵夫人として愛国婦人会設立に尽力し、初代会長を務めた。日露戦争では銃後慰問事業に活躍し、勲四等に叙された。
具定との間に6男5女を儲けている。
岩倉具幸へ宛てた書簡が、早稲田大学図書館により公開されている。
栄典
編集家族・親族
編集脚注
編集- ^ 『平成新修旧華族家系大成 上巻』(霞会館、1996年)p.209
- ^ 『官報』第7639号、1908年12月11日。
出典
編集- 『日本女性人名事典』日本図書センター