川平慈英

日本のサッカー解説者、俳優

川平 慈英(かびら じえい、Jay Kabira、1962年9月23日 - )は、沖縄県那覇市出身のタレントスポーツキャスターナレーター俳優

かびら じえい
川平 慈英
別名義 Jiei Kabira
ジェイカビラ
生年月日 (1962-09-23) 1962年9月23日(62歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 沖縄那覇市首里[1]
身長 170 cm[2]
血液型 A型
職業 タレント
スポーツキャスター
俳優
活動期間 1986年 -
配偶者 あり
著名な家族 川平朝清
昭和女子大学名誉理事・名誉教授

ジョン・カビラ(長兄、キャスターラジオパーソナリティーナレーター・タレント)

川平謙慈(次兄、元日本マクドナルドマーケティング本部長)
川平朝申伯父
事務所 ケイファクトリー
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熱狂的なサッカー好きとしても知られ、主にテレビ朝日のサッカー中継等でスポーツキャスターを務めている。ケイファクトリー所属。名前はJ(ジェイ)・カビラと表記される場合もある。上智大学比較文化学部(現・国際教養学部)卒業。

家系

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父親の川平朝清は元アナウンサー。朝清と伯父の川平朝申伊江御殿支流向氏伊江殿内の家系であり末裔に当たる。

3人兄弟の末っ子で、タレントジョン・カビラ(本名・川平慈温)は長兄、実業家川平謙慈は次兄。

東京バプテスト教会に所属するクリスチャンである。

来歴・人物

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1972年5月15日の沖縄本土復帰に伴う父親の転勤で家族と共に東京に転居した。玉川学園高等部時代、読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)のユースチームに在籍した[3]。中高生時代はサッカー部、クリエイティブムーブメント部、そして英語劇部に入部していた。英語劇部では『ジーザスクライストスーパースター』や『WEST SIDE STORY』(Baby John役)等のミュージカルに出演した。高校卒業後、一旦玉川大学文学部教育学科に入学するが、すぐに中退してテキサス州立大学にサッカー留学した後に帰国し(サッカー部の監督と方針を巡って意見が対立したため)、上智大学比較文化学部(現・国際教養学部)に入学・卒業。大学在学中にミュージカル俳優としてデビュー。

その後、1991年にWOWOWの「WOWOWスーパーサッカー」・イタリアセリエA実況中継のメインキャスターとして出演。これがサッカーキャスターとしてのデビュー作となり、2年後の1993年に開幕されるJリーグに合わせ、テレビ朝日ニュースステーション』が募集したサッカーキャスターのオーディションに応募し、日米での選手経験などが評価されて合格した。サッカーへの熱情にあふれた川平の語り口はそれまでのプロ野球の結果を伝えるアナウンサーの冷静な対応とは全く異質であったが、テレビでの彼の活動基盤を作った。

また、『ニュースステーション』に出演する中で横浜フリューゲルスのサポーターとなっていき、番組内でも応援をしていた。1998年10月29日に発表された同チームの横浜マリノスへの統合も同番組で伝えたが、同時にこの決定を強く批判し、チーム存続への団結を呼びかけた。結局、フリューゲルスの統合は食い止められなかった。その後は、チーム存続運動から1999年に誕生した横浜FCを応援している。また、テレビ東京三菱ダイヤモンド・サッカー』のキャスターとして自らのサッカー経験を生かしたユニークな解説で人気を集め、サッカーキャスターとしての活動をさらに広げた。『ニュースステーション』の終了後、川平はテレビ朝日がサッカー中継で特別番組を制作する際のキャスターとして随時起用された。

テレビの他、舞台や映画、ラジオでも活躍。シリアスな演技もこなすが、ミュージカル俳優としての特徴を生かせる役も多い。特に舞台では三谷幸喜作品にも多く出演。

テレビ東京『ASAYAN』ナレーションでの決まり文句「いいんです!」(これは兄のジョン・カビラ都並敏史とのやり取りの中で使っていたのを川平が拝借したものである)で有名に。なお、都並は読売時代のチームメイトである。

サッカー中継の際のハイテンションな語り口調(「ムムッ!」「ハーフナー・マイクーぅ!!」など)は、漫才コンビの博多華丸・大吉博多華丸に真似されていることで知られる。物真似は本人公認となっている[4]。ちなみに、川平の口癖である「ムムッ!」は、元々は華丸が物真似をする際に言っていたもの(ネタの逆輸入)である。

その他

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  • 母の影響で幼少から教会に通う。
  • 若い頃は一人でも朝まで踊りまくるディスコ狂だった。
  • 1993年、国立競技場で行われたJリーグ開幕式の君が代は当初川平が歌うはずだったが、上記の番組を見ていた川淵三郎が名前を失念し、前田亘輝が歌った。なお、川平は当時駆け出しで全くの無名だった。
  • 舞台稽古中にサッカーボールを持ち込んでリフティングなどをし、準備体操代わりにしている。怒られてボールを没収されたことも。
  • 自他共に認めるディエゴ・マラドーナの大ファン。国立競技場で行われた1979 FIFAワールドユース選手権の決勝を観戦、アルゼンチン代表がソ連代表を破って優勝を決めた瞬間、他の観客とともにスタンドからピッチになだれ込み、ラモン・ディアスと抱き合うマラドーナめがけて駆け寄り、一瞬抱きついたという逸話がある[5]

出演

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テレビドラマ

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アニメ

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吹き替え

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ドラマCD

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キャスター・ナレーターその他

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映画

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舞台

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脚注

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  1. ^ 幼少期過ごした首里での記憶と嫌だった「ハーフ」 俳優・川平慈英さん(1)<復帰半世紀 私と沖縄>」『琉球新報デジタル』2022年5月23日。2024年4月13日閲覧
  2. ^ プロフィール(所属事務所公式サイトより)
  3. ^ “今こそ稼げ! サッカーが得意な芸能人”. リアルライブ. (2010年6月24日). https://npn.co.jp/article/detail/48386232/ 
  4. ^ 博多華丸 ご本人搭乗”. 博多華丸・大吉私信電心 (2008年3月15日). 2014年5月14日閲覧。
  5. ^ “ピッチでマラドーナと抱き合った男”川平慈英、兄ジョン・カビラも「僕にとっても宝」,サッカーキング,2016年6月1日
  6. ^ 2022年度改定における終了•移設番組一覧”. NHKオンライン. 2022年4月1日閲覧。
  7. ^ 主な登場人物”. 破天荒フェニックス. テレビ朝日. 2019年11月14日閲覧。
  8. ^ 「孤独のグルメ」五郎、今年は沖縄に飛ぶ!ゲストは国仲涼子・豊本明長・川平慈英”. 映画ナタリー. ナターシャ (2023年12月20日). 2023年12月20日閲覧。
  9. ^ ゲスの極み乙女。がアニメ「トネガワ」に“川谷絵音が書きそうにないストレートな曲”提供”. 音楽ナタリー (2018年5月31日). 2018年5月31日閲覧。
  10. ^ ミッチェル家とマシンの反乱”. ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント. 2021年11月12日閲覧。
  11. ^ 松下麻利 (2007年12月7日). “DDIポケット、「C@rd H"64」のCMに川平慈英さんを起用”. 2021年4月20日閲覧。
  12. ^ 木村拓哉さん出演の「FMVシリーズ」TV-CM 第8弾』(プレスリリース)富士通、2002年10月16日https://pr.fujitsu.com/jp/news/2002/10/16-1.html2021年4月20日閲覧 
  13. ^ 今井雅之さん遺作舞台が映画化 主演は川平慈英”. ORICON STYLE (2015年10月16日). 2015年10月16日閲覧。
  14. ^ 今井雅之が生前に手がけた脚本を川平慈英主演で映画化、今井が残したメッセージも”. 映画ナタリー (2016年3月4日). 2016年3月7日閲覧。
  15. ^ エル・カンパニーホームページ キャスト一覧”. エル・カンパニー. 2022年3月5日閲覧。
  16. ^ エル・カンパニー 作品公演紹介”. ゑゐぢの館. 2022年3月5日閲覧。
  17. ^ “スラムドッグ$ミリオネア」の原作小説を舞台化、屋良朝幸がスラム街出身の青年に”. ステージナタリー (ナターシャ). (2022年3月23日). https://natalie.mu/stage/news/470618 2022年3月25日閲覧。 
  18. ^ 三浦宏規&川平慈英、バレエ題材にした韓国ミュージカル『ナビレラ』「今から楽しみ」”. マイナビニュース. マイナビ (2023年11月4日). 2023年11月4日閲覧。
  19. ^ 木ノ下歌舞伎に田中俊介・須賀健太・矢部昌暉が出演、緒川たまき・眞島秀和らも参加”. ステージナタリー. ナターシャ (2024年4月16日). 2024年4月16日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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