川田忠樹

日本の実業家 (1935-2022)

川田忠樹(かわだ ただき、1935年5月2日[1]- 2022年10月24日)は、橋梁研究者、川田テクノロジーズ相談役。

人物

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富山県福野町に、川田工業社長・会長を歴任した川田忠雄の子として生まれる。富山県立福野高等学校卒、東京外国語大学卒。

1958年3月、川田工業株式会社に入社[2]

1971年から2017年までプレビーム振興会会長[2]

1977年6月、川田工業株式会社 代表取締役社長に就任[2]

1996年6月、川田工業株式会社 代表取締役会長に就任[2]

2001年から2005年まで財団法人富山県経営者協会会長[2]

2002年「近代吊橋における二律背反相克の歴史 経済性と剛性」で東京大学工学博士

2010年6月、川田工業株式会社 相談役に就任[2]

2016年11月、旭日中綬章を受章[2]

2017年6月、川田テクノロジーズ株式会社 相談役に就任[2]

2022年10月24日、心不全のため死去[2][3]。87歳没。死没日付をもって正五位に叙された[4]

現社長の川田忠裕は長男にあたる。

著書

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  • 吊橋の設計と施工 付・振動論』理工図書 1965
  • 『長径間吊橋の理論と計算』橋梁編纂会 1969
  • 『だれがタコマを堕としたか』建設図書、1975
  • 『吊橋の文化史』技報堂出版 1981
  • 『歴史のなかの橋とロマン』技報堂出版 1985
  • 『現代の吊橋』編著 理工図書 1987
  • 『ボーモンの卵 テイ橋落橋事件の真相』建設図書 1987
  • ニューヨークブルックリンの橋』科学書刊 1994
  • 『橋と日本文化』大巧社 1999 日本を知る
  • 『近代吊橋の歴史 経済性と剛性の相克』建設図書 2002

参考

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  1. ^ 『現代日本人名録』
  2. ^ a b c d e f g h i 弊社 相談役逝去に関するお知らせ”. 川田テクノロジーズ (2022年10月28日). 2022年10月28日閲覧。
  3. ^ “川田忠樹氏死去(川田工業元社長、川田テクノロジーズ相談役)”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2022年10月28日). https://web.archive.org/web/20221028140710/https://www.jiji.com/jc/article?k=2022102801073 2022年10月28日閲覧。 
  4. ^ 『官報』第869号7頁 令和4年12月1日号

関連項目

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