延遼館
概要
編集幕末に浜御殿内に幕府海軍の海軍所施設として建造された石造建築物を基礎とし、1869年(明治2年)に近代日本初の迎賓施設として整備された[1]。イギリスのエジンバラ公アルフレッド王子、ロシアのアレクセイ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ大公皇子、アメリカのユリシーズ・グラント前大統領、琉球王国の伊江朝直王子、ハワイ王国のカラカウア国王ら多くの国賓を迎えた[2][3][4]。
面積1,380平方メートルのコの字型建物で[5]、内部の障壁画は、狩野雅信、狩野永悳、渡辺小崋、狩野董川らの筆になるものであった[6]。
一時は東京オリンピックに合わせ、延遼館を浜離宮内に復元することが決定したが[7]、舛添要一都知事の辞任により棚上げになり[2]、2017年に策定された旧浜離宮庭園の保存活用計画では、10年後以降に整備する長期計画の一部に位置づけられた[8]。
歴史
編集- 1869年(明治2年) - イギリス王族エディンバラ公アルフレッド王子が来日することが決定した。明治政府は初の外賓を迎えるにあたり、幕末に海軍施設として建設された石造の建築「石室」を改修して迎賓施設とした。5月落成。7月に延遼館と命名[3]。
- 1879年(明治12年) - ジョサイア・コンドル設計により改修[9]。世界周遊の途次、日本に立ち寄ったのグラント米国前大統領が延遼館に滞在。明治天皇とも会見した[3]。
- 1884年(明治16年) - 外務省から宮内省に移管される[2]。
- 1885年(明治17年) - 延遼館の裏庭において初の天覧相撲が開催された[3]。
- 1889年(明治22年) - 老朽化のため解体[7][9]。
脚注
編集- ^ “20年東京五輪に向け賓客の「おもてなし」施設整備[東京]浜離宮に明治の「延遼館」を復元”. 現代ビジネス. (2015年2月22日). オリジナルの2020年11月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c “東京五輪で復元予定だった明治時代の幻の迎賓館「延遼館」をご存知ですか”. アーバン ライフ メトロ. (2020年7月23日). オリジナルの2020年9月9日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c d “延遼館の時代 明治ニッポンおもてなし事始め” (PDF). 東京都公文書館. 2021年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月20日閲覧。
- ^ 李啓彰「井上馨による外交「裏舞台」の創出 : 鹿鳴館の建設過程からの考察」『社会システム研究』第22巻、立命館大学社会システム研究所、2011年3月、145 - 166頁。
- ^ 「浜離宮恩賜庭園「延遼館」の遺構調査結果と復元方針」『東京都建設局』2016年3月29日。オリジナルの2021年7月18日時点におけるアーカイブ 。
- ^ 浦木賢治「江戸狩野派の明治初期の動静について」『埼玉県立歴史と民俗の博物館紀要』第9巻、埼玉県立歴史と民俗の博物館、2015年3月6日、45 - 62頁。
- ^ a b “明治の迎賓施設「延遼館」を都が復元 20年の五輪までに”. 日本経済新聞. (2015年1月6日). オリジナルの2015年7月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ 東京都における文化財庭園の保存活用計画(旧浜離宮庭園) (Report). 東京都建設局公園緑地部. March 2017. 2021年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ a b “【復元】五輪の“おもてなし” 浜離宮の「延遼館」を迎賓施設として再生”. 建設通信新聞. (2015年1月8日). オリジナルの2021年7月20日時点におけるアーカイブ。