廻船
概要
編集中世以後に発達し、江戸時代には菱垣廻船・樽廻船のほか、西廻り航路(北前船)・東廻り航路、さらに北国廻船・尾州廻船[1]などの浦廻船が成立して船による輸送網が発達した。
廻船人達の慣習法(大法)は16世紀になると、『廻船式目』として集成され、一種の商人道徳となった[2]。
脚注
編集- ^ 南知多町郷土資料館の案内 南知多町郷土資料館、2017年11月11日閲覧。
- ^ (網野善彦 『日本社会の歴史 (下)』 岩波新書 第8刷1999年(1刷97年) p.84)
関連項目
編集外部リンク
編集- 曲田浩和「歴史・民俗 明和・安永期の尾州廻船内海船と大坂 : 熱田講・極印講との関係を中心に」『知多半島の歴史と現在』第20号、日本福祉大学知多半島総合研究所、2016年10月、129-148頁、ISSN 0915-4833、NAID 120005980276。