忍全功
日本のプロ野球選手 (1949-)
忍 全功(しのぶ ぜんこう、1949年1月14日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手。ポジションは三塁手。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大阪市住吉区 |
生年月日 | 1949年1月14日(75歳) |
身長 体重 |
174 cm 70 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1966年 第1次ドラフト2位 |
初出場 | 1973年4月22日 |
最終出場 | 1975年5月7日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
編集御所工高では主将をつとめ、攻走守にバランスの取れた選手として知られる。2年秋の県大会決勝は延長12回引き分け再試合の末に敗退して準優勝すると近畿大会では優勝。三番打者・二塁手として1966年春の選抜に出場[1]。2回戦(初戦)で金沢高に敗退[2]。同年夏の甲子園県予選でも決勝に進むが、郡山高の植村秀明投手に0-1で完封負け、紀和大会への出場権を獲得できなかった。
社会人野球の日立製作所への就職が決まっていたものの、1966年の第1次ドラフト2位で指名され、大洋ホエールズへ入団[1]。守備は安定していたが打撃が課題でなかなか一軍へ上がれず、1971年限りで退団。1973年に太平洋クラブライオンズへテスト入団し、この年に一軍の試合に初出場。1975年にはプロ初ヒットを記録するが、同年限りで引退した[1]。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1973 | 太平洋 | 4 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
1974 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 1.000 | ---- | 1.000 | |
1975 | 12 | 2 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .500 | .500 | .500 | 1.000 | |
通算:3年 | 17 | 6 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | .250 | .500 | .250 | .750 |
記録
編集- 初出場:1973年4月22日、対南海ホークス前期2回戦(大阪球場)、8回裏から三塁手として出場
- 初打席:1973年4月22日、対南海ホークス前期3回戦(大阪球場)、9回表に佐藤道郎から凡退
- 初安打:1975年4月5日、対日本ハムファイターズ前期1回戦(平和台球場)、10回裏に吉田誠の代打として出場、高橋直樹から単打
背番号
編集- 34 (1967年)
- 67 (1968年 - 1971年)
- 43 (1973年 - 1975年)
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 忍全功 - NPB.jp 日本野球機構