志村文雄
日本の陸軍軍人
志村 文雄(しむら ふみお、1898年(明治31年)12月12日[1] - 1973年(昭和48年)8月19日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
志村 文雄 | |
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生誕 |
1898年12月12日 日本 宮城県 |
死没 | 1973年8月19日(74歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1919年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1898年(明治31年)に宮城県で生まれた[1]。陸軍士官学校第31期、陸軍大学校第41期卒業[1]。1940年(昭和15年)6月に西部軍参謀に就任し[2]、同年8月に陸軍歩兵大佐に進級した[2]。1941年(昭和16年)に第34師団参謀長に転じ[2]、日中戦争に出動した[1]。
1942年(昭和17年)に第12師団参謀長を経て[2]、1944年(昭和19年)1月にスマトラ島の第25軍軍政監部総務部長に転じ[2]、同年8月に陸軍少将に進級[2]。1945年(昭和20年)にシンガポールの第7方面軍参謀副長兼軍政監部総務部長に就任し、終戦を迎えた[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。