木村仁
木村 仁(きむら ひとし、1934年6月24日 - 2023年11月15日[1])は、日本の政治家、自治官僚。位階は従三位。
木村 仁 きむら ひとし | |
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生年月日 | 1934年6月24日 |
没年月日 | 2023年11月15日(89歳没) |
死没地 | 日本 神奈川県川崎市 |
出身校 | 東京大学法学部 |
前職 | 東海大学法学部法律学科非常勤講師 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
従三位 旭日重光章 |
選挙区 | 熊本県選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1998年 - 2010年 |
来歴
編集伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
熊本県出身。熊本市立白川中学校、熊本県立熊本高等学校卒業[4]。
1958年、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業[5]。地方自治庁入省[6]。大阪府総務部地方課[5]。
1961年、大阪府総務部庶務課兼総務部地方課。その後、福島県地方課長、奈良県総務部長で勤務[4]。
1979年4月1日、自治省行政局振興課長。1982年4月1日 - 自治省行政局公務員部公務員第一課長。1983年11月15日 - 自治省行政局行政課長。
1986年8月1日、自治省大臣官房審議官(企画兼行政担当)。1986年9月19日、自治大学校長。1987年9月21日、自治省行政局長。1989年6月30日、消防庁長官。1991年10月、自治省退職。11月、全国町村会事務総長。
1994年11月20日、熊本市長選挙に立候補するが落選[7]。
1995年、野村総合研究所参与。1996年、東海大学法学部法律学科非常勤講師(地方自治法担当)。
1998年、第18回参議院議員通常選挙熊本県選挙区から立候補し、初当選。2001年、第1次小泉内閣で国土交通大臣政務官(国土関係及び北海道開発関係[8])就任。
2004年、第20回参議院議員通常選挙熊本県選挙区で再選。2007年8月、第1次安倍改造内閣で外務副大臣。9月、福田康夫内閣で外務副大臣(再任)。
2009年12月23日、政界からの引退を表明する。
2010年3月、自民党両院議員総会長に就任。7月 - 参議院議員の任期満了により退職。財団法人創造くまもとを設立し代表理事を務める[9]。11月、旭日重光章受章[6]。
2023年11月15日、敗血症のため、神奈川県川崎市の病院で死去した[1][10]。89歳没。死没日付をもって従三位に叙された[11]。
人物
編集政策
編集政治資金
編集主な著書
編集所属していた団体・議員連盟
編集- 神道政治連盟国会議員懇談会
- アメリカンフットボール議員連盟
- 平成研究会
脚注
編集- ^ a b “元参院議員の木村仁さん死去 自民党熊本県連会長も務める”. 熊本日日新聞. (2023年11月15日) 2023年11月15日閲覧。
- ^ 防災情報機構NPO法人
- ^ “ブラニスラブ・カペタノビッチ氏による木村外務副大臣への表敬”. 外務省 (2008年4月14日). 2011年6月3日閲覧。
- ^ a b 一般財団法人創造くまもと
- ^ a b 外務副大臣
- ^ a b 一般財団法人「創造くまもと」理事長 木村仁さんにインタビュー 熊本人財ネットワーク
- ^ 『毎日新聞』1994年11月21日朝刊1面。
- ^ 第151回国会 衆議院 国土交通委員会 第11号
- ^ 「創造くまもと」とは
- ^ 木村仁氏死去 元自民党参院議員 - 時事ドットコム 2023年11月15日
- ^ 『官報』第1128号10頁 令和5年12月20日
- ^ 恒例の落語会に約500人 ・・・創造くまもと
- ^ 第174回国会 法務委員会 請願 1568号
- ^ しんぶん赤旗 2003年10月31日(金)
- ^ しんぶん赤旗 2004年9月19日
議会 | ||
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先代 景山俊太郎 |
参議院総務委員長 2004年 - 2005年 |
次代 世耕弘成 |
公職 | ||
先代 岩屋毅 浅野勝人 |
外務副大臣 小野寺五典と共同 2007年 - 2008年 |
次代 伊藤信太郎 山本一太 |
先代 今村雅弘 吉田六左ェ門 岩井國臣 |
国土交通大臣政務官 木村隆秀 田中和徳と共同 2001年 - 2002年 |
次代 木村隆秀 菅義偉 森下博之 |
党職 | ||
先代 沢田一精 |
自由民主党熊本県支部連合会会長 2000年 - 2003年 |
次代 古閑三博 |
官職 | ||
先代 矢野浩一郎 |
消防庁長官 1989年 - 1991年 |
次代 浅野大三郎 |
名誉職 | ||
先代 田英夫 |
最年長参議院議員 2007年7月 - 2008年9月 |
次代 草川昭三 |