末広座 (名古屋市)
末広座(すえひろざ)は、愛知県名古屋市に所在した劇場[1][5]。 元禄・享保年間頃に開設された名古屋では最古参の劇場で[6]、1872年(明治5年)4月に末広座と改称した[2][3]。 松竹が買収して改造し、1927年(昭和2年)11月15日に名古屋松竹座として新装開館した[4]。
末広座[1] Suehiro-za | |
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末広座の辻番付チラシの歌舞伎シーンのイラスト(1921年6月) | |
情報 | |
正式名称 | 末広座 |
開館 | 1872年[[4[2][3]月]] |
閉館 | [[1927[4]年]] |
収容人員 | 1413[1]人 |
用途 | 芝居小屋[1]、映画館 |
所在地 | 愛知県名古屋市中区末広町3丁目 |
位置 | 北緯35度9分46.71秒 東経136度54分9.25秒 / 北緯35.1629750度 東経136.9025694度[1]) |
歴史
編集天保年間の中頃まで名古屋の若宮八幡宮の境内で営業していたが、隣接地に移転した[1]。 明治時代の名古屋には、南桑名町の千歳座[1]、本重町の新守座[1]、南伏見町の音羽座[1]、大須の宝生座[6]、御園座[1]などが存在していた[7]。劇場の名称は変遷を経ており、1872年(明治5年)に末広座、1877年(明治10年)愛栄座、1882年(明治15年)に末広座に再改称されたとする[8]。
劇場のある末広町で生まれ、末広座の子役として活躍した人物に、のちに著名な俳優となった6代目中村傳九郎がいる[9]。また、7代目市川中車と7代目市川團吾は、1909年(明治42年)5月に末広座において共演し[10] [11] 、3代目中村時蔵は1917年(大正6年)5月に出演している[12]。
1896年(明治29年)、アメリカの発明家チャールズ・フランシス・ジェンキンスとトーマス・アーマットが開発した「ファントスコープ」をトーマス・エジソンが「ヴァイタスコープ」として商品化すると、翌1897年(明治30年)1月、大阪・心斎橋で雑貨商を営んだ荒木和一によって「荒木系ヴァイタスコープ」の興行が始まり、末広座では同年3月1日から14日まで開催。これが名古屋における最初の映画興行とされている[13]。
この建物は、歌舞伎に深いつながりのある松竹に買収され、1927年(昭和2年)11月15日に名古屋松竹座として新装開館した[4]。末広町を代表する映画館ともなった。しかし、第二次世界大戦中の名古屋大空襲により破壊された[13]。
その後、末広座跡地を古川為三郎率いるヘラルドグループが取得し、1964年(昭和39年)12月25日、「中日シネラマ会館」(後に映画館部分がヘラルドシネプラザと改称)が開業[14]。2004年(平成16年)2月22日に完全閉館するまで、映画館とレジャー施設を擁する商業ビルとして親しまれた[15]。2019年(平成31年)2月19日、ヘラルドシネプラザ跡地に高層マンション「栄タワーヒルズ」が竣工し、現在に至る。
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i 長江銈太郎 『名古屋便覧』 柳城社、1909年8月。pp30
- ^ a b 『明治の名古屋 写真に見る』 名古屋市教育委員会、1969年2月1日。pp99
- ^ a b 坪內逍遙 “五十年前に觀た歌舞伎の追憶”. 早稲田文学 大正9年3月号 (早稲田文学社) (1920年3月).pp36
- ^ a b c 『松竹七十年史』 松竹、1964年3月20日。pp354
- ^ A Handbook for Travellers in Japan - Google ブックス
- ^ a b 『愛知県独案内』 愛知県農会、1900年10月。pp72
- ^ “名古屋財界の集まり・九日会を作る|愛知千年企業-明治時代編”. www.nagoya-rekishi.com. 2021年1月5日閲覧。
- ^ “愛栄座のあった場所と、いつからいつまであったのかを知りたい。 | レファレンス協同データベース”. 2021年1月5日閲覧。
- ^ “NAKAMURA DENKURÔ VI”. www.kabuki21.com. 2021年1月5日閲覧。[出典無効]
- ^ “ICHIKAWA DANZÔ VII”. www.kabuki21.com. 2021年1月5日閲覧。[出典無効]
- ^ “ICHIKAWA CHÛSHA VII”. www.kabuki21.com. 2021年1月5日閲覧。[出典無効]
- ^ “NAKAMURA TOKIZÔ III”. www.kabuki21.com. 2021年1月5日閲覧。[出典無効]
- ^ a b 伊藤紫英『シネマよるひる 改稿名古屋映画史 8mmから70mmまで』自費出版、1984年、pp.149-153
- ^ “映画界の動き”. キネマ旬報 1965年2月号 (キネマ旬報社) (1965年2月).pp164-165
- ^ 相次ぐ都心の閉館 どうなる名古屋地区映画館(上)競争激化で独自色模索 繁華街で“復興”目指す 中日本興業 郊外型シネコン充実 東宝 『作品で勝負』名演小劇場」『中日新聞』、2004年2月14日
外部リンク
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