朽木稙元
朽木 稙元(くつき たねもと)は、丹波国福知山藩の第2代藩主。福知山藩朽木家3代。
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 寛文4年3月27日(1664年4月23日) |
死没 | 享保6年1月24日(1721年2月20日) |
改名 | 左近(幼名)、稙元 |
戒名 | 鏡心院殿清源堪水大居士 |
墓所 | 東京都港区高輪の泉岳寺 |
官位 | 従五位下・民部少輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉→家宣→家継→吉宗 |
藩 | 丹波福知山藩主 |
氏族 | 朽木氏 |
父母 | 父:朽木稙昌、母:岡部宣勝の娘・作姫 |
兄弟 | 稙元、稙治、土屋秀直、稙栄、昌充、迪綱、久、大田原純清正室、近藤政徳正室、池田政森正室、水谷勝時正室、藤堂良端正室 |
妻 |
正室:秋元喬知の娘 側室:貞松院 |
子 | 稙綱 |
生涯
編集寛文4年(1664年)3月27日、初代藩主(当時は常陸国土浦藩主)朽木稙昌の長男として生まれる。宝永5年(1708年)6月25日、父の隠居で家督を継いで福知山藩主となり、弟の朽木稙治に3,000石を分与した。藩政では藩財政の困窮に苦しめられている。
享保6年(1721年)1月24日に死去した。享年58。跡を長男の稙綱が継いだ。