東多摩郡
日本の東京府にあった郡
東多摩郡(ひがしたまぐん)は、東京府にあった郡。1878年(明治11年)11月2日、成立した[1]。郡役所は、当初、中野町大字中野に置かれた[1]。1896年(明治29年)、廃止され、豊多摩郡となった[1]。
郡域
編集隣接していた郡
編集歴史
編集郡発足までの沿革
編集知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領 | 12村 | ●中野村、高円寺村、馬橋村、久我山村、上高井戸村(上高井戸宿・高井戸宿)、中高井戸村、下高井戸村(下高井戸宿・高井戸宿)、田端村、成宗村、本郷新田、和泉新田(和泉村のうち)、大宮前新田、松庵村 |
旗本領 | 7村 | ●上鷺之宮村、和泉村、上高田村、片山村、●和田村、●上井草村、●下井草村 | |
幕府領・旗本領 | 8村 | 江古田村、雑色村、●永福寺村、●上荻窪村、新井村、下鷺之宮村、上沼袋村、下沼袋村 | |
鉄砲玉薬組同心給地 | 1村 | ●本郷村 | |
その他 | 寺社領 | 4村 | 下荻窪村、天沼村、阿佐ヶ谷村、堀之内村 |
- 慶応4年
- 明治初年に本郷新田が本郷村に編入。
- 明治2年
- 明治4年
- 明治5年
郡発足以降の沿革
編集行政
編集歴代郡長
編集代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 梅田義信 | 明治11年(1878年)11月2日 | 明治16年(1883年)7月11日 | 明治14年(1881年)4月26日以降は南豊島郡との連合 |
2 | 江連堯則 | 明治16年(1883年)7月11日 | 明治19年(1886年)8月25日 | |
3 | 益田包義 | 明治19年(1886年)8月25日 | 明治23年(1890年)11月7日 | |
4 | 藤井一虎 | 明治23年(1890年)11月7日 | 明治29年(1896年)4月1日 | 南豊島郡との合併により東多摩郡廃止 |
郡役所
編集郡役所は、当初、中野町大字中野に置かれた[1]。1881年(明治14年)4月26日、郡役所は廃止され、東多摩南豊島連合郡役所が内藤新宿2丁目に設置された[1]。1889年(明治22年)、淀橋町大字柏木291番地に移転した[1]。
脚注
編集- ^ a b c d e f 新修新宿区史編集委員会 1967, p. 129.
- ^ 復古記 明治元年6月20日 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
- ^ 復古記 明治元年8月8日 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
- ^ 明治2年行政官布告第142号 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
- ^ 東京都品川区 編『品川県史料』〈品川区史〉1970年。 NCID BN05722063。
- ^ 明治4年太政官布告第594号 – 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
- ^ 東京府入間県管地ノ内ヲ神奈川県ニ分属 - 国立公文書館デジタルアーカイブ
- ^ 『東京市史稿』 市街編52、東京都、1962年、316-331頁。全国書誌番号:1226894。
- ^ a b 安藤陽子 著「維新期多摩郡の管轄替えと行政区画-品川県を中心に-」、多摩川流域史研究会編 編『多摩川・秋川合流地域の歴史的研究』(pdf)1989年、132-147頁 。
- ^ 『東京市史稿』市街編52には明治5年5月22日とあるが「正月」と「五月」の取り違えか。『東京市史稿』市街編53(pp.308-315)にも東京府から神奈川県への引き渡しは1月とある。
- ^ 神奈川県管地ヲ東京府ニ分属 - 国立公文書館デジタルアーカイブ
出典
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 13 東京都、角川書店、1983年10月27日。ISBN 4040011309。
- 旧高旧領取調帳データベース (国立歴史民俗博物館)
- 東京府豊多摩郡誌 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
参考文献
編集関連項目
編集先代 多摩郡 |
行政区の変遷 1878年 - 1896年 |
次代 豊多摩郡 |