松平信直
江戸時代中期の大名。丹波亀山藩2代藩主。従五位下佐渡守、紀伊守、主計頭。形原松平家12代。
松平 信直(まつだいら のぶなお)は、江戸時代中期の大名。丹波亀山藩の第2代藩主。官位は従五位下佐渡守、紀伊守、主計頭。形原松平家12代当主。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保17年(1732年) |
死没 | 天明6年10月10日(1786年10月31日) |
改名 | 豊五郎(幼名)、信直、双峰(法号) |
戒名 | 寛誉双峰霊徳院 |
墓所 | 京都府亀岡市北古世町の光忠寺 |
官位 | 従五位下佐渡守、紀伊守、主計頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治 |
藩 | 丹波亀山藩主 |
氏族 | 形原松平家 |
父母 |
父:松平庸倫、母:不詳 養父:松平信岑 |
兄弟 | 信直、庸孝 |
妻 | 正室:松平光雄の娘 |
子 | 信道、信愛、戸田光弘、巨勢利和、牧野成傑、直温、彦坂重教、直義、貞幹、松平勝全正室、溝口直舊正室、太田資承正室 |
略歴
編集享保17年(1732年)、初代藩主(当時は丹波篠山藩主)・松平信岑の弟・松平庸倫の長男として誕生(生年は享保20年(1735年)2月18日とも言われている)。
寛延2年(1749年)、伯父・信岑の養子となり、宝暦13年(1763年)の信岑の死去により家督を継いだ。宝暦14年(1764年)1月、従五位下・紀伊守に叙任される。
天明元年(1781年)閏5月27日、長男・信道に家督を譲って隠居し、主計頭を遷任する。後に双峰と号した。
天明6年(1786年)10月10日に死去した。享年55。