松平信豪
江戸時代後期の大名。丹波亀山藩6代藩主。従五位下紀伊守、図書頭。形原松平家16代。松平信志の七男
松平 信豪(まつだいら のぶひで)は、江戸時代後期の大名。丹波国亀山藩の第6代藩主。官位は従五位下紀伊守、図書頭。形原松平家16代当主。幕府大老・井伊直弼の舅に当たる。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化10年2月25日(1813年3月27日) |
死没 | 慶応元年10月19日(1865年12月6日) |
改名 | 英之助(幼名)、信豪 |
戒名 | 敬徳院殿 |
墓所 | 京都府亀岡市北古世町の光忠寺 |
官位 | 従五位下紀伊守、図書頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉→家慶 |
藩 | 丹波亀山藩主 |
氏族 | 形原松平家 |
父母 | 父:松平信志、母:不詳 |
兄弟 | 信賢、信豪、飛鳥井雅久室、胤ら |
妻 | 正室:酒井忠実の長女・采姫 |
子 |
松平信進正室、貞鏡院、信敏、信正、牧野康哉正室ら 養子:信義 |
略歴
編集文化10年(1813年)2月25日(異説として文化11年(1814年))、第5代藩主・松平信志の七男として誕生。
文化13年(1816年)、父の死去により家督を継いだ。文政10年(1827年)12月、従五位下・紀伊守に叙任される。藩政では家臣や領民の教育化、藩校の拡張などに努めた。信豪が藩主の代では家老・奥平広胖(おくだいらこうはん)が改革を主導した。
天保14年(1843年)2月9日、養子・信義に家督を譲って隠居する。慶応元年(1865年)10月19日(異説として10月27日)に死去した。享年53。