松平近義

江戸時代中期の大名。府内藩第7代藩主

松平 近義(まつだいら ちかよし)は、江戸時代後期の大名豊後国府内藩の第7代藩主。官位従五位下・主膳正。親清流大給松平家11代。

 
松平近義
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 明和7年4月1日1770年4月26日
死没 文化4年8月27日1807年9月28日
戒名 浄岳院暁誉翻然清遊
墓所 東京都文京区小石川伝通院
官位 従五位下・主膳正
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
豊後府内藩
氏族 大給松平家
父母 父:松平近形、母:不詳
養父:松平近儔
兄弟 近儔蒔田定祥近義酒井忠恭継室、紀井
養子:近訓
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略歴

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明和7年(1770年)4月1日、第5代藩主・松平近形の三男として誕生した。文化元年(1804年)12月6日、兄で6代藩主の近儔の隠居に伴い家督を継いだ。12月15日に従五位下、主膳正に叙位・任官した。しかし、近儔の次男の近訓が成長するまでのつなぎ的な存在に過ぎず、藩政の実権は近儔が握っていた。

文化4年(1807年)8月27日、参勤交代中に駿河国の岡部で急死した。享年38。跡を近訓が継いだ。

系譜

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父母

養子


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