松殿山荘
松殿山荘(しょうでんさんそう)は、京都府宇治市木幡南山にあり、山荘流茶道の流祖・高谷宗範(たかや そうはん)が茶道道場のために造った建築物および庭園。平安時代末期の関白・藤原基房の別業である「松殿」(まつどの)跡地とされる。
松殿山荘 | |
---|---|
所在地 | |
座標 | 北緯34度55分30.0秒 東経135度48分19.0秒 / 北緯34.925000度 東経135.805278度座標: 北緯34度55分30.0秒 東経135度48分19.0秒 / 北緯34.925000度 東経135.805278度 |
面積 | 約12ヘクタール |
運営者 | 公益財団法人松殿山荘茶道会 |
公式サイト | 松殿山荘茶道会 |
概要
編集高谷宗範は大阪の弁護士であったが、遠州流茶道に堪能であり、1918年(大正7年)に土地を取得して自らの設計により茶道道場「松殿山荘」を建設した[1]。建坪は千坪(約3300平方メートル)。現在は大書院や奈良・京都市内の山並みが見渡せる眺望閣など近代和風建築が建ち、茶室が17席ある[2]。敷地内は、宗範の山荘流茶道における基本理念である「方円思想」に貫かれており、方と円を組み合わせた造形が随所に見られる[3]。
歴史
編集松殿山荘の所在地は、関白・藤原基房が造った別業・松殿の旧地と伝えられており、『百錬抄』の記述から基房晩年の造営と考えられている[4]。また、『明月記』・『民経記』・『百錬抄』によれば、道元の誕生の地とされている[5]。
1918年に高谷宗範がこの一帯を購入し、1919年(大正8年)から、親しみやすい広間で茶を普及するための茶道道場の建築を始める。その後11年の歳月をかけ、1930年(昭和5年)に完成した[4][6][7]。
文化財
編集重要文化財(国指定)
編集以下の12棟の建造物は2017年度重要文化財指定 [8][9] 。
- 松殿山荘 12棟
- 本館(東書院棟、西書院棟、中書院棟、大書院棟、天五楼棟からなる)(附:土塀3棟(西書院・南蔵間、南蔵・中玄関間、大玄関西))
- 北蔵
- 南蔵
- 蓮斎(附:渡廊下及び大腰掛)
- 撫松庵(附:露地門、腰掛、雪隠)
- 春秋亭(附:土塀2棟(東方、西方))
- 檆松庵(さんしょうあん)(1字目の漢字は木偏の右に「炎」、その右に「占」)(附:露地門)
- 聖賢堂(聖堂・賢堂からなる)(附:土塀1棟)
- 仙霊学舎
- 修礼講堂及び事務所(附:手荷物預かり所)
- 宝庫
- 大門(おおもん)(附:便所)
- (以下、附指定物件)
- 天満宮社
- 旧宅
- 旧宅土蔵
- 附属屋
- 平面図1枚
ギャラリー
編集交通アクセス
編集脚注
編集参考文献
編集- 『京都府の近代和風建築』京都府教育委員会 平成21年
- 『京都新聞』2014年5月28日・2015年2月1日
- 竹村俊則著『昭和京都名所圖會』駸々堂出版 1989年
- 日本建築学会編集著『学術講演梗概集1995年度大会(北海道)F2建築歴史・意匠』
- 吉川弘文館編『京都古社寺辞典』吉川弘文館 2010年