林了
昭和期の歯科医師、政治家
林 了(はやし りょう、1908年(明治41年)3月9日[1][2][3] – 1953年(昭和28年)12月20日[1][2][3][4][5])は、昭和期の歯科医師、政治家。参議院議員(1期)、日本大学歯学部教授。医学博士[1][2][3][4]。
経歴
編集福井県福井市出身[1][3][5]。1929年(昭和4年)日本大学歯科医学校(現日本大学歯学部)を卒業[1][2][4]。同年、歯科医院を開業[4]。1932年(昭和7年)日大歯科医学校附属医院に勤務[1][2][3]。以後、城西病院歯科部長、日大歯科医学校長、日大歯学部教授を歴任[1][2][3][4][5]。
その他、日本歯科医師会理事、同事務局長、同常務理事、同税制対策委員長、日本歯科医師政治連盟(現日本歯科医師連盟)理事長、臨時診療報酬調査会委員、臨時医療保険審議会委員、社会保険診療報酬支払基金理事、軽井沢会理事長、軽井沢国際観光協会顧問、八欧無線(株)顧問などを務めた[1][2][3][4][5]。
1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙に全国区から緑風会公認で出馬したが落選[6]。1953年(昭和28年)4月の第3回通常選挙に全国区から出馬して当選し[1][2][3][5][7]、参議院議員に1期在任した[1][4]。この間、参議院厚生委員、同懲罰委員、同風水害緊急対策特別委員、同中共地域からの帰還者援護に関する特別委員などを務めた[5]。議員在任中の1953年12月に狭心症のため急逝した[5]。死没日をもって従六位に叙される[8]。
脚注
編集参考文献
編集- 『日本人名大事典 現代』平凡社、1979年。
- 『現代人名情報事典』平凡社、1987年。
- 上條勝久他編『参議院追悼演説集』参議院議員有志の会、1985年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。