柳沢保民
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柳沢 保民(やなぎさわ やすたみ)は、江戸時代中期の大和国郡山藩の世嗣。官位は従五位下・造酒正。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 安永9年2月12日(1780年3月17日) |
死没 | 寛政12年4月12日(1800年5月5日) |
官位 | 従五位下・造酒正 |
藩 | 大和郡山藩世嗣 |
氏族 | 柳沢氏 |
父母 | 父:柳沢保光、母:大野氏 |
兄弟 | 保民、保泰、中川久貴、柳生俊豊、武田信之、里顕、柳沢光被継室、松浦晧正室、戸田氏綏正室、内藤信敦正室、外山光施室ら |
妻 | 正室:松平輝和娘・絢 |
略歴
編集3代藩主・柳沢保光の長男。母は大野氏。正室は松平輝和の娘・絢。
郡山藩主の嫡子として生まれ、寛政7年(1795年)に11代将軍・徳川家斉に拝謁・叙任する。しかし、家督相続前の寛政12年(1800年)に21歳で早世した。
代わって、弟の保泰が嫡子となった。